人生

やっていきましょう

978日目

以前toeicを受けた時の自分と今の自分に違うところがあるとすれば、それは自分というものにある程度折り合いがつけられるようになったということだ。

当時は膨大な虚無の前に自分の喪失しかけた存在価値をどうにか再建させなければならないと必死だった。世間から孤立するという焦りもあった。

しかし今はそれもなくなった。自分は既に世間から孤立しており、言い方は変だが、自分が世界のすべてになっている。良い意味で他人のことがあまり気にならなくなった。同年齢の人間はきっと遥か先にいて追いつけるかどうかも分からないという諦めが、今更toeicを受けようとする自分を肯定する。

自分は今自分の能力に応じてその程度に合った地位にいると感じている。そしてそうあって良いのだと思うようになった。実力の無い人間がかつての自分のように無理をして実力のある人間と同じフィールドに立つと苦しいのは自分である。自分はそれを理由に精神を壊したのだった。

他人に焦ってハイレベルな挑戦を自らに課すのではなく、自分ができるレベルで全力で戦うべきだと考えた。これは妥協でも卑下でもなく、そうすることが結局のところ成長に繋がるのだと感じたからだ。

かつて自分はapexで適性がプラチナでありながら無理をしてダイヤに入ろうと必死だった。そのためRPの減少に神経質になり、減る度に激しいストレスを抱えることになった。戦績もあまり良くなかった。

しかし一方で自分はプラチナ適性であることを受け入れ、とりあえずはダウンやRPを気にせず自分にできる範囲のことをやろうとした時はストレスがあまりなかった。ランクを気軽に回せるようになり、それが結局ダイヤに到達する近道になった。

apexでそうであるように、自分はプラチナだろうがダイヤだろうが一向に構わないのである。なぜならそこが自分の適性だからだ。toeicもそうだ。800点にいかなかったとしても、自分の適性はそこだから仕方ないのである。そこで自分が800点を取れる実力もないのにどうにか運良く取れてしまえないかと考えるから駄目なのである。自分は自分が能力相応の位置にいることに感謝しなければならない。