人生

やっていきましょう

979日目

英語と並行して隻狼をやることにした。1ヶ月ほど前に買ったものだが今日まで触れることがなかった。

早速ゲームを始めてみたが、今までのどのソウルシリーズよりも難しいと感じた。むしろソウルシリーズのみならず、今までプレーしたゲームの中で最も難しい部類に入ると感じた。その理由は主にシステムの難しさと戦闘の難しさ、そして独力による難しさにある。

戦闘システムがこれまでのソウルシリーズとは全く違う。単に相手のHPを減らすというゲームではなく、相手の体幹ゲージを最大にしてトドメを刺すというゲームである。体幹ゲージは体力が多いとすぐに回復してしまうので、ある程度体力を減らしてから体幹ゲージを蓄積させる必要がある。

問題はそれらのやり方だ。体力を削るには相手のモーションの隙を突かなければならず、体幹ゲージを増やすには相手の攻撃を弾き、踏み、見切る必要がある。このタイミングが難しい。体力を削るだけでは体幹ゲージは溜まらず、また体幹ゲージを蓄積させるだけでは体力は減らない。ひとつの戦闘で異なる2つの作業を行う必要がある。

そのためボス単体が中ボスクラスでもダークソウル3のミディールレベルに難しいと感じた。今までのソウルシリーズに比べてゴリ押し技がほとんど通用しなくなり、敵の行動パターンを探りながら有効な手段をもって弱点を突かなければならない。

sekiroの戦闘の難しさは攻撃手段及び立ち回りの多様さ、そしてそれらに対する万能な技が用意されていないところにある。攻撃手段は主に4つ、通常攻撃、空中攻撃、下段攻撃、突き、である。立ち回りはステップによる回避とジャンプによる回避である。この他にも仕込み武器による技もあり、とにかく覚えることが多い。これらを敵も同じように繰り出してくる。

sekiroはただ相手の隙を突いて攻撃すれば良いというゲームではない。相手の「どこが」隙なのかを考えなければモブ相手にも一生勝てない仕組みになっている。例えばゲームには大楯を持っている敵が存在する。この敵にはいくら通常攻撃を繰り返しても体力は減らず体幹ゲージも溜まらない。この敵を倒すには大楯を踏んで相手の突進を誘発したところで背中を切るか、義手忍具の斧でそのまま楯を勝ち割る必要がある。それを戦闘の中で見いだす必要がある。

ボスレベルになるとその複雑さは更に増し、技のひとつひとつに異なる対処が求められる。プレイヤーはその技が弾いて体幹ゲージを溜めるべき技なのか、避けて追い討ちをかけるべき技なのか、見切って隙を生むべき技なのか、あるいは追い討ちを警戒してただ耐えるべき技なのかを見極める必要がある。攻めるタイミングを間違えると簡単に体力を減らされ死んでしまう。常に敵のパターンを探りながら弱点を特定する必要がある。

ところで今までのソウルシリーズでは仲間を召喚したりレベルを上げることによって比較的楽に攻略することができた。しかし今回のsekiroはレベルの概念が存在せず、また仲間を召喚することができなくなっている。

プレイヤーの体力の強化は中ボスを倒すことで手に入るアイテムでのみ行われ、また攻撃力の強化は大ボスを倒さなければ行うことができない。つまりボスを倒さなければ能力的にも強くなることができないのである。言い換えれば、最も卓越したプレイヤーは初期設定のままラスボスを倒すことができる。

そして今回から仲間を召喚することが一切できない。どれだけ難しい中ボスやボスでも、全部ひとりの力で対処する必要がある。自分ひとりで弱点を見出し、自分ひとりで隙を生んで、自分ひとりで倒し切る必要がある。

自分は今回wikiの類を一切見ていない。そうすることで更に困難になったが、しかしそのためにsekiroの面白さは一気に倍増したと感じている。最初は相手が何をしてくるかまったく分からなかったが、恐れず動きを観察することでパターンが見えてきて、試行錯誤の末に自力で編み出した攻略法を持って敵を倒すことができるようになる。そこに自身の成長とやりがいを感じる。もし自分がwikiを見ながら戦っていたら(それでも面白いだろうが)sekiroはただ他人の作った攻略法に慣らす作業にすぎなかっただろう。ゴリ押しが一切効かないために、既存のソウルシリーズ以上に自力で攻略する面白さがある。

sekiroは正直言ってまったく初心者向けではない。ここまで初心者を切り捨てたゲームを自分は見たことがない。しかしそれゆえに面白さがあり、他では味わえない臨場感を体験することができる。sekiroを通じて、先日まで呆けていた脳が一気に若さを取り戻した気がする。