人生

やっていきましょう

990日目

自身の創作物に対して離人感を覚えることが頻繁にある。自分が推敲し自分で生み出したものであって尚、自分のものではないような違和感を覚える。多くの創作屋はまさしく自分の価値の体現として自身の作品を安堵の目で見ているのだろうか。少なくとも自分は、自分の作品に親しみを覚えることがなく、どこか奇妙で不快感を催す作品が、なぜかそこにあることに苛立ちを覚える。

自分が絵を描くのが怖いと感じているのはまさにそのためである。何を描いても、何を表現しても自分のものではないように思う。むしろそれらが自分を拘束し、自分というものを意図せず定義づけてしまうことに違和感を覚える。そこに描かれているもの、それこそまさに自分の体現に他ならないが、それら深層の産物は表面上では特に自分の嫌悪の対象であることが多かった。おそらくかつて自分が好んでいたものが、人生の痛手と自身の後悔によって完全に否定された、そう思い込んでいたはずのものが、ふとしたことで発掘され、自分の目の前に現れてくる。それが自分の中にアイデンティティの矛盾を生じさせ、違和感として現れてきたのだろう。

自分はこれまで他人の目という社会圧に適応するために自身を否定してきた。その否定は自分の価値観に多大な影響を与え、自分の本心にかかわらず社会圧が好ましいと思うものを自分は好んでいると思い込む習慣が生まれた。少なくとも10年はそうした全体主義の世界に生きていた。しかしそうした世界観に反して自身の置かれている環境が圧倒的に自由の風土にあって、己の選択を求められる立場にあった。自由というのは自分の本心が求めていたものだが、しかしこれまで社会圧に屈してきた自分には、与えられた自由も宝の持ち腐れだった。

自分は自由に対して適応障害を引き起こした。これまで自分は自分を殺すことで生存を認可されていた(と思い込んでいた)。しかし外の世界は自立の論理で動いており、隷従ではなく主体的な協調を求めていた。

自分は隷従の中で自分を正当化するために様々な妥協を纏ってきた。いつしかそれが自分らしさだと思うようになった。しかしそうした妥協は自身を解放するどころか、かえって自身を社会圧の隷従に束縛することになった。それに耐えきれず、社会圧の中でやむを得ず自己を肯定するために見出した偽りの自己の価値観を一切捨てた。かつて妥協こそ自分を生かす道だと思っていたが、それは本心なき妥協であり、自分を徒に歪ませるだけだった。

外圧に蝕まれた価値観を一切捨て、自分はようやく他人の目から解放されたつもりになっている。しかし自分の中に宿る隷従の過去は決して失われることはない。災害復興が混迷を極めることと同様、歪んだ価値を捨てた気になっていてもその痕跡から解放されるにはまだ時間がかかる。

それに、社会圧からある程度解放されたからといって自分本来の価値観が自ずと湧き出てくるわけではない。自分が虚無に落ちたのが何よりの証拠である。自由は個々の権利と人格を尊重し、多様な選択をそれ自体否定することはない。しかし何に価値を見いだすべきかという答えは与えてくれない。自由は自身による価値の選択を期待する。信念ある者には追い風となるが、信念無き者には苦痛である。

言語に依らない自身の自由な解釈に身を委ねることが不安でならない。ストーリーに関しても詩的な飛躍を描くことを何より恐れている。自身の表現の詩性を排し、論理の繋がりに安堵する。そんな自分はもはや創作に向いていないのではないか。

これまでの人生を振り返ればわかる通り、自分を否定し自分を失った人間がその状態を十何年も続けていれば、もはやそれが当たり前になる。最近になって耐えきれずとうとう自分を求めたとしても、その十余年の間に失われた自身の同一性は戻ることはない。