人生

やっていきましょう

996日目

SekiroやApexのことばかりで話題にもならないが、英語の勉強の方は続いている。毎日ひたすら単語帳を周回して、数年前の状態に戻そうとしている。ブランクは長かったが、一度覚えた単語ものというのはそうそう忘れるものではない。急遽思い立ったことで何の計画性もないが、とりあえずは一度単語帳を網羅するというのが当面の目標だ。

ふと自分に、数年前ほどの学習意欲が存在しないことに気づいた。かつて自分の中にあった努力に対する期待めいたものが完全に失われていた。当時はどこか、自分が努力し改善に向かう姿勢そのものに、自分が社会で存在して良い理由めいたものを見出していた。つまり、どこか自分が社会の一員として帰属できているという確かな実感を求めていたのである。

しかし数年経ち、他者(の視線)が自分の存在理由の重要な要素ではなくなってしまった。他人に期待することがほとんどなくなり、完全に自分自身の内面を閉ざした中で生きるようになってから、良くも悪くも他人がどうでもよくなった。分かり合えない人間がいて、誤解も当然のように生まれる。それはこちらが被害を受けるばかりでなく、自分もまた、相手自身が思っている自己像を誤解しているかもしれない。そうした自他の能力の限界から、期待というものはあまりしないほうがいいと悟った。

そうしてから、学習というものが社会へのミッションだとか、帰属のための試金石といったものではなく、単純に自身の関心の結果としての行動になった。久々に英語を勉強して思ったが、今の自分はそれほど英語に対して嫌悪感がない。むしろ数少ない自分の要素として好意的に捉えている。

かつての急き立てられるような学習意欲は無くなったが、純粋な関心ごととして正視できるようになった。これは全体的に見れば良い傾向だと思う。焦りがなくなったことで是が非でも高得点をとは思えなくなったが、問題解決のために常に冷静さを失わないことが何よりも優先されるべきという自身の信条に沿うならば、無理に頑張る必要はないと思う。

何も期待せず、何とも比較をせず、ただ淡々と自分と向き合い、自分のできる限りのことをやるだけでいい。その結果は自己の人格の否定材料にせず、過度な肯定の肥やしにもせず、その結果が今の実力なのだと誠実と受け止め、欲があれば何が問題だったのかを改善し、つぎにつなげれば良いと思う(ただし、そう思うことが万能であると思ってはいけない。必死になっていたからこそ成し得たこともまた存在する)。

こう考えることで、かつて行っていた能力以上の問題に対する無謀な特攻とその反動としての自己嫌悪が多少薄まると思う。自分はそうした無茶な人生の反動から、人格に傷を負い、正気を失った。今はその反省の時期なのだと思えば、これまでの人生も無駄ではないのだろうか。