人生

やっていきましょう

1035日目

学問が批判と修正を繰り返しながら解を積み重ね発展してきたことを認めていながら、創作になるとそうした積み重ねを否定したがる傾向が自分の中にある。表現技法やストーリーの演出が、ある完成された型の模倣であることに、またそれらが広く氾濫している現状につまらなさを感じており、少なくとも創作という分野においては内なる想像の原野に可能性を見いだすことに価値があると思っている。

こうした紋切り型の表現や技術への反感は、一見もっともらしく聞こえるが、しかしそうした動機がそのまま作品の質を高め維持することには直接繋がらないという点には注意すべきだろう。自分が型破りな人間であることをアピールしようとして、かえって型通りの無能であることを暴かれてしまう人間は少なくない。

独自性を追求する人ほど型を理解しようとするべきだ、という忠告はあらゆる場所で耳にする。守破離というのもそうだが、型を破るにも破る型を知らなければならない。何も知らない人間が破る型を持たずに、原始的な発想から未熟な発想を振り回すのはただの退化である。自分も数年前までこのことにまったく気づけなかったのだから愚かである。