人生

やっていきましょう

1049日目

ある時期まで自分は自分の解釈に真剣だった。自分の中に湧いてくる固有の見方に対してある程度自負があり、それが自分らしさだと思っていた。

今では自分自身の解釈にこだわりが無くなった。むしろ固有の見方を持つことを恐れるようになった。

自分は突飛な思いつきを世紀の大発見であるように思っていた。それらは勢いだけは良かったが、大抵中味が空っぽだった。そのことを3年前に自覚し、自分が嫌になった。

あれ以来自分は自分を嫌っている。創作と向き合うと必ず自分の考えの醜悪さが目について、途中でやめたくなる。自分が歩んできた人生そのものが作品を通して自分の前に現れてくる。それが辛くて一時期創作を投げていたこともあった。

1年前だったか、突然創作というものを誤解していたことに気づいた。創作は必ずしも自分の内面の葛藤や混乱を表現するような場ではなく、むしろ単に自分が面白いと思ったものを表現して良い場でもあった。この気づきを得てから作品の方向を転換し、他人が見てもある程度楽しめる作品を目指した。

しかしその時初めて気付いたが、今の自分にはこれが面白いと本気で思えるものが何一つ存在しなかった。かつて面白いと思っていたものの多くは、人生の過程で自分がすべて切り捨ててきた。今手元にあるのは全体的な虚無感と、自己満足の冷笑しかない。その他には何もない。

かつて真剣そのものだった自分の解釈はすべて死んだ。今更それらを再現する気にもなれない。控えめに言って、それらに再現するほどの価値があるとは思えない。かといって新たな価値観を築く気力も能力もない。

作品は完成させる。そのために莫大な時間を投じる覚悟はある。自分自身の浅はかさに対して責任を果たす義務がある。とはいえ何ひとつ真剣になれない創作というのも苦しいものである。