人生

やっていきましょう

1053日目

とあるアニメが類を見ない程につまらなかったという批評動画があった。内容の大半は忘れてしまったが、自分の「好き」が無く、ネットの批評を恐れてそれに対する答えを必死で考えようとしていただけ、という言葉には目が止まった。

あまり意識して来なかったが、受け手には作り手の趣味やこだわりに期待しているという視点があるようだ。これまで自分は作品を批判されないものにしなければならないとばかり考えていたが、よくよく考えればそれは見当違いであった。彼らが見たいものは【批判されないもの】ではなく【面白いもの】である。

要するに自分の作品がつまらなかったのは、自分の表現したいものを表現しているわけではなく、設定や場を埋め合わせようとしていただけだからである。上記のアニメのようなネットの批判に対する不安はないが、どこか7年以上かけてきたことに対する重圧と、つまらなさへの恐れはあったように思う。

自分の好きを表現できている作品が必ずしも優れているわけではない(それが高じて作品全体の質が悪くなる例はいくらでもある)が、自分の好きで勝負をせず保身で作った作品は大抵つまらないものである。創作意欲ではなく義務感から作っている以上そうなって当然だが、どうせ作るならば少しは自分の気持ちと向き合ってみても良いのではないか。