人生

やっていきましょう

1076日目

過去のことを考えると不安になる。自分の人生とは何だったのか。

不安は大抵、自分がまともな人間になれなかったことについてだ。他人の考えや思考が分からず、対立を恐れるあまり無理矢理他人に従うことを自らに強いてきた過去、そのために多くのものを失い、今も失い続けているという事実、それらのことを考えると本当に苦しくなる。

自分がまともな人間になろうとして努力してきた日々が思い出される。結局はどこかで逃げや誤魔化しを抱えており余計に拗らせることにしかならなかった。

あるいは他人に期待しては裏切られた日々を思い出す。本当は他人に裏切られたわけではなく、自分がうまく伝えられていないことが原因なのだが、それに気がつくまでに相当な時間を要した。そのことに対する後悔がある。

自分の人生の骨格は服従である。幼少から今に至るまで、自分は他人に頭を下げて生きてきた。言葉が出てこないという自分の最大の欠陥が人生をそのように変えた。そしてその態度が余計に自分をおかしくさせた。

本当に長い間、自分が正気でなかったということに気づけなかった。自分を分析するという態度を初めて有したのは、皮肉なことに自分がすべての期待を失った後だった。

今でもまだ、完全に正気であるという自覚はない。しかしこの過程で自分は、ひとつひとつ自分という人間と正面から向き合うことを学んできた。断片的ではあるが、それらの蓄積がなければ自分は本当に正気を失っていたと断言できる。

自分が自分の思考の上に立って、何者にも口を挟ませない生き方ができればどれほど良いか。自分の思考に対して間違っているかもしれないと考えなければどれほど楽か。

しかし自分はもう既にそのいくつかを克服している。無根拠な懐疑ではなく、根拠を積み重ねてひとつひとつ歪みが修正されている。過去を悔やむのは、過去以上に現在が優れているからだ。そのことを自責ではなく自信に代えてほしい。