人生

やっていきましょう

1083日目

自分の創作に強い影響を与えているのはSkyrimFallout 4だと思う。自分が7年前にゲーム作りで表現したかったのはあの世界観に自分の関心を混ぜたものだったように思う。それは今でもあまり変わっていない。

これらのゲームからはゲームの背景を表現することの面白さを学んだ。ゲームには主人公一人だけが存在しているわけではない。組織があり、社会があり、思想があり、それらの内外で確執があり、対立があり、協力がある。

またこれらのゲームには本当にどうしようもない集団や人間が多く登場してくる。そうした不完全な人間を描く楽しみもこの時知った。自分はある種自分のコンプレックスを救済しようとして創作に臨んでいた節があるが、実はそんな理想的なキャラクターよりも色々悲惨なキャラクターを描いた方が断然面白いのである。

例えば自分のコンプレックスのひとつに他者との相互理解の困難さというものがある。そのため自分は無意識のうちに他者と主人公が分かり合えてしまう展開を作ってしまう。しかし本当に面白いのは、自分と他人が分かり合えないことのすれ違いにある。

悪人が主人公を脅迫する時、主人公に情けを見せるという展開は場面を選ばないと本当につまらなくなる。悪人が悪人であるからこそ、主人公との間に緊張感が生まれて面白くなる。

またどうしようもない小物が、突然主人公の行動に理解を示すようになったらこれもまた面白くはない。小物が主人公の行動や意図を理解できないからこそ、ストーリーではピエロとなり笑わせてくれるのだ。

悪人が悪人のままであり、小物が小物であるがゆえのくだらなさ、そこに面白みがあるということを上記のゲームは気づかせてくれた。

自分が表現したいのはどうしようもない人間、どうしようもない集団が巻き起こすくだらない出来事だということが最近分かってきた。しかし今の自分の作品を見ると、何やら小難しい対話ばかりが書かれていて力を入れすぎているように思う。それがストーリーに曖昧さを生み、結果よくわからないものになってしまっている。

当初のストーリーラインに沿わなければならない関係上多くの制約があるが、本当はもっと自由で面白い表現がしたいと考えていた。それらのアイデアの試作をサブクエストやメインの繋ぎに入れて体感を確認しているところだ。