人生

やっていきましょう

1084日目

ある中年男性が商品レビューをしている動画をネットで見た。その動画はネットでは悪い意味で有名な動画で、本来はまったく面白くないものみんなで茶化して笑うというネットの悪き風潮の犠牲になったもののひとつだ。

自分は彼の動画を何かの生態を観察するかのようにじっと見ていた。そしていくつか行動の中に自分と同じものを見出した。動画を見る中で対人面における課題を何度か自覚させられた。

彼の問題はその紹介のやり方にある。商品レビューの動画の一般的な目的は、視聴者にその商品を食べたいと思わせることである。しかしこの動画からはそうした意図が一切感じられない。

彼は自分の名前を言った後、今日はこの商品を食べると宣言し、パッケージに書かれている細かい成分を淡々と述べていく。それが終わると商品を口にして、ただ一言感想を述べる。動画の内容はただそれだけだった。

自分は彼の姿に心当たりがあった。彼はネットでは異常者のように扱われるが、もし自分が商品レビューを行ったら彼のようになるかもしれないと思った。

彼の問題は3点ある。自分の求められている役割を理解できておらず、表現に乏しく、情報の取捨選択ができていないということだ。

彼に求められている役割、少なくとも商品レビューという動画の中で求められている役割は、自分の商品を視聴者に紹介し、実際に食べてもらおうとすることである。しかし彼の場合は、その役割を理解せず、自分の関心のある情報をただ自閉的にアウトプットしているだけである。

また表現の乏しさにも問題がある。多弁であれというわけではないが、自分が紹介している商品の良さを引き出すくらいの言葉はあって然るべきである。しかしそうではなくただ成分を羅列しただけで、少なくとも本人にとって何が良かったのかが一切伝わってこない。

成分表に書かれている言葉に執着するのは、それが彼にとって目に見える情報であり、そこに彼の関心が発生したからだ。しかし受け取った情報の中から重要なものを取り出し、自分の話題に繋げるといった工夫がこの動画には存在しない。すべて目に入った情報を言わなければならないと思っており、そしてそれをレビューだと勘違いしている。

誤解してほしくはないが、自分は彼の人格否定のためにここまで書いてきたわけではない。自分もまた、対人面でこのような傾向を抱えている一人の人間として、彼を考察の対象に選んだのである。

自分が人と会話する時、特に極度の不安に陥っているとき、自分の頭に思い浮かんだ情報をただ羅列するしかできないことがある。情報の取捨選択ができず、相手に求められている役割を勘違いしていることもよくある。彼を動画で見る度に自分の失敗を重ねて見てしまう。

しかしこうした実例を見ることで、これは間違っていると自覚することができる。自分が対人面で失敗している時、人からこう見られているのだと自覚できる。そこに学びがある。

自分は明るく振る舞うことはできないが、少なくとも相手が何を求めていて、自分がそれにどう応えるかを考えることはできる。そこから今の自分の改善点を見出し、修正することができる。

例えば情報の取捨選択は、その状況で何が求められているかを言葉に表し、優先順位をつけることで解決できそうである。

自分と他者の間で自らの役割を自覚するためには、自分が相手にとって分かりやすい人間である必要がある。商品レビューをするなら自分は商品レビューをしようとしていると分かってもらえる態度をとらなければならない。他人に自分を見せるという行為と、自分がただ何かをするという行為は微妙に食い違う。他人に見せるためには、ただ自分が個人的に堪能する姿を見せるだけでは不十分であり、いくつか他人に見せるための工夫が必要である。