人生

やっていきましょう

1095日目

自分が面白いアイデアに溢れているという思い込みが、自分を創作に駆り立てていたことは言うまでもない。しかし実際のところ自分の考えるものは面白くもなんともなく、ただどうしようもなくそうと表現せざるを得ないような自身の奇妙な表現がそこにあるだけだった。

この奇妙さは自分が興味のない他者の作品に抱く奇妙さに似ている。自分の関心をまったく惹起させないが、世間では好評されている。何が面白いか分からないが面白いということになっている。もしかしたら自分の作品も他人から見れば面白いのかもしれないが、そうとは自分で思えない奇妙さがある。少なくとも自分は自分の作品を面白いとは思えない。自分は自分の表現にうんざりしていて、嫌悪すら覚える。

面白さについて定義を立てるのは難しい。人によって何が面白いかは異なるからだ。自分にとっての面白さとは意外性であり、皮肉であり、自虐的な笑いであり、冷笑であり、破滅である。しかしそれらを自分が表現しようとすると途端につまらなくなる。

その一因は、自分にとって自明のものとなった面白さとは概して意外性を喚起させないものである、ということにある。何度も同じ表現を繰り返してきて、また似たようなパターンかと自分の表現に飽き飽きしてくる。

結局自分の手持ちの手札があまりに少なく、自分の中のアイデアの金脈が枯渇しているのだ。創作が活気付いてくるのは、何かしらの作品の強い影響を受けてパクリに奔走する時くらいである。