人生

やっていきましょう

1114日目

自分はこれまで話が通じない人間に対して深刻なストレスを抱えてきた。それをずっと他人のせいではなく自分の問題と考え、他者と共有可能な標準的な言葉選びや論理展開を努めてきた。しかしそう自分を歪めれば歪めるほどに、自分の無理はますます高まり、にもかかわらず他人は自明の前提から一歩も動くことはないということになっていった。気づけば自分は他人にとって都合の良い人間でしかなくなっていた。

自分はそれで、他人に対して期待することをやめた。自分は自分の正当性を他者に委ねるべきではなかった。誰かに認められるために弱弱しく、自分がそこに存在することを申し訳なさそうにしている必要はなかった。なぜならそうしたところで、近づいてくるのは自分の正当性を他者に認めてもらいたいと思っている人間ばかりだからだ。

他者との健全な関係とは、自分と他者が異なる問題、異なる感心、異なる欠陥を抱えた人間であると認めた上で、適切な距離を保つところにある。現在自分の中で長く続いている人間関係は、自分の内面の問題に踏み込ませていない、あるいはそこから距離を離して互いの関心にのみ関わりを持っているものばかりだ。反対に疎遠になった人間は、自分の内面に安易に踏み込ませて対立を生んだ者、自分が無理をして他人の関心に合わせていた者などである。

自分に合わなかった人間に対しては今でも嫌悪がある。しかしこの嫌悪は相手ばかりが悪いというものでもない。結局自分の無理が原因で拗らせたことが一番悪いのである。だから嫌悪自体を正当化するつもりはない。

自分が対人関係で強く自覚すべきことは、他人に期待しないことである。他人は自分とは異なる前提で生きている。その上で共有可能な言語や関心を持っていることがあるということを認める。それらが自分と近いかどうかの度合いによって、彼らを身近に置くか遠くに置くかを自分で選択する。しかしいくら近かったからといって、他人が自分とは異なる人間だという前提を忘れてはならない。

こうした考えを持っていれば、自分の話が相手に通じなくても良いと思えるのである。どうにかして相手の理解を引き出さなければならないという思い込みは、他人が自分の思考を理解してくれるという期待に成り立っている。だからその期待を捨ててしまえば、言葉が通じないのが当たり前、価値観が異なるのが当たり前だと簡単に受け入れることができる。

こうした他人に対する期待を排した思考を常に行えるようにしたい。この期待がなければ、自分は自分の思ったことをただ口に出す事に集中できるのである。