人生

やっていきましょう

1166日目

2人のYouTuberがいる。1人は年齢にそぐわないあまりに愚かな行動をすることで一躍時の人となった有名配信者で、もう1人は皿や壁に暴力をふるいながら自分の心の苦しみや繊細さを劇的に演出することで有名となった配信者である。どちらもかつてニコニコ動画の中で無名Youtuberをバカにする風潮から有名になった配信者だが、最近その2人が復活したということで話題となった。

前者の人間は今年で38歳だということだが、おにぎりの袋を開けられない、ボウリングで投げるレーンを間違える、年齢に合わない幼稚な物言いなどといったことが話題となり、彼の知能を不安視する声があがった。その上名声に対する高慢さが目立つようになり、以前の彼ではなくなったと言われるようになった。

自分もかつて彼を笑っていた人間の一人だが、一方でどこか自分に近いものを感じていた。かつて不安に支配されていた頃、自分は当たり前のことがまったくできなくなっていた。彼の挙動を見る度にそのことを思い出す。しかし彼はそのことを何ら恥とも思っておらず、陽気に自分が全部正しいと思い続けている。この彼の不安の無さに自分は敬意を抱いている。彼がたまにする映画の話も個人的には好みで、彼には個人的な好意がある。

一方後者の人間は好意とは違った感情を抱いている。さっきの彼を面白がることはできるが、こっちは面白がるにも複雑な心境になる。大体自分に近い人間というのは、突き放して笑うことができないものである。

後者の彼は36歳で、当時彼は無職だった。自分が幼少期に親から受けた精神的虐待を今でも引きずっており、耐えきれなくなると頭をガリガリしたり、壁に穴をあけたり、皿を割って怒りを鎮めるのだった。そうした自分の内面を繊細な音楽とともに独白で流し続け、ついにはアダルトチルドレンインナーチャイルドなる概念を持ち出して自分を正当化し続けるという映像がネットで話題となった。

確かに映像としては笑いもの以外の何物でもないのだが、自分は特に彼の内面について強い同情を覚えた。彼は本当に自分が未だに小さい子どもであると思っているのだ。最近復活した彼の絵を見たが、そこに映る幼稚な画風は幼さへの未練を思わせる。自分も同じ画風だったからよくわかる。そして彼が人よりも繊細な人間であるということも自分とよく似ている。彼を見ていると自分の大学時代を強く思い出す。周りがやれ外資だ大手だと必死に動きまわっている間、自分は幼稚園に通う園児のように振舞っていたものである。今思えば正気ではなかったが、それが自分だった。

挫折というのは、幼少に落ちた自分と現実の自分とに折り合いをつけられなかったことの帰結であるように思う。それ以来この配信者のような幼少期に対する強い執着は失われたが、今見ても彼の映像には苦しさを覚えてしまう。彼は幼少期の自分を守ろうとして今でも自己正当化の道を突き進んでいる。

いずれも自分が絶対正しいと思い込んでいる配信者である。自分にはどうしてそこまで自分を信じられるのか疑問だが、逆に自分をそこまで信じられない理由というのもそこまでない。自分も彼らを見習って自分が正しいと思いたいものである。