人生

やっていきましょう

1169日目

富士スバルライン五合目に着いた。ここには何度か家族に連れてきてもらったことがある。当時からあまり変わっていない。五合目から見える富士山はよく見えていた。

いきなりだが、ここで最初の失敗をした。計画では5時頃に出発する予定だったが、食事や準備に手間取って7時の出発になった。とはいえ計画が2時間程度遅れただけなので、最悪お鉢巡りは断念して下山すれば良いと考えた。

五合目から歩き始めた。おおむね快調。霧が多く天気はあまり良くないが、この曇りが自分の心を静かに高揚とさせた。YoutubeでFallout4のBGM Our Islandをイヤホンでかけながら先を進んだ。霧といえばこの曲だった。平坦な道が続いている。これが本当に山かと高をくくっていた。六合目までは比較的簡単に着いた。

六合目からはほとんど霧だった。ここで最初の軽食をとった。自分にはまだ余裕があった。後方を見たら急こう配の坂があった。ここから富士登山が始まるのだとそのとき初めて理解した。

六合目。ひたすら坂を上り続ける。予想よりもはやく精神を持って行かれた。原因はこの霧だった。霧のせいで先の方がまったく見えない。登っても登っても同じような風景ばかりで、いつまで歩けばいいのか分からないのである。そのためペースが乱れ、息切れを起こした。自分は焦る気持ちを抑え、とにかく目の前の坂を上ろうということだけを考えた。上ったら少し休憩した。

気が付くと自分は下から登ってくる人間に追い越されているということを気づきはじめた。男性客ばかりでなく、女性や高齢者にまで追い越された。やはり自分には体力が足りていなかった。このときはじめて富士山に来たことを後悔したが、自分の最大の強みとは限界が来てからのしぶとさである。それゆえに本来行けるはずのない場所に自分は行ってきたのであり、これからもそうするつもりである。

BGMがそろそろ苦痛になってきたので停止した。気が付くと誰もいなくなり、自分の周りには完全な無音が訪れた。しばらくその無音を味わった。体力の限界を感じたため、カロリーメイトを補給。体力が回復し、ペースを取り戻した。七面山での教訓を思い出し、余裕はあったがペースは落とした。その後はじめての休息所が見えた。最後の方で霧が晴れてきた。それと同時に自分の心も晴れてきた。六合目も終わりに近い。

しかしここからが自分にとって苦痛の連続だった。七合目。2度の雨に襲われる。どちらも激しい雨だった。最初の雨は短かったが、2度目の雨は長かった。この時自分は雨宿りできる場所がなかった。確かに自分は山小屋にいたが、登山客が多くスペースもほとんどないので、ただ先に進むしかなかった。

このとき自分は大量の雨を浴びてしまった。確かに防水用の服は着ていたが、あまりに大雨なので頭が濡れ、身体が濡れ、靴が濡れた。すぐにタオルで拭こうとしたが、タオルも雨で濡れてしまった。だから自分の身体を乾かす手段がなかった。

今思えばこの雨が後の体力不足を招いた直接的な原因だったと思う。体温が下がり、ずっと寒気が続いていた。この辺りから本来のペースから遅れつつあることに気づきはじめた。精神が折れかけた。自分もそうだったが、他の登山客も辛そうだった。

山の天気は本当に気まぐれだと思い知った。散々雨が降ったかと思えば、急に霧がなくなり真夏のような照りを見せる。そう思った矢先には日が隠れ、台風の時のような雨が降る。こうした苦難の中にあって、それでもまだ体力の余裕があった。道中で食べていたカロリーメイトのおかげである。

最後の方で食事をとろうと土砂降りの中岩場で座っていたら、女性の登山客から大丈夫かと心配された。自分は疲労で座っているのでなく休むために座っていたつもりだったので、ただ大丈夫だと答えた(とはいえ、土砂降りの中俯いている様は端から見れば異様だったと思う)。急に声をかけられ混乱していたので、ただ大丈夫だとしか言えなかった。このことに後悔があったので、次の山小屋でちゃんとお礼を言い直した。昔の自分にはできなかったことだ。

最後には雨はすっかり止んだ。これ以降雨が降ることはなかった。しかしただ雨が降り、雨が止むというだけのことが、自分の精神にこれほどの影響を与えるとは思ってもいなかった。とにかく雨で消耗し、心が折れかけているときに、奇跡のように天気が晴れ、目の前に山小屋が見えてくると、自分でさえ宗教的な感情を抱いてしまう。荒ぶる自然の猛威、それに対する人間のか細い祈り、それがたまたま鎮まった時のこの高揚。大昔の人間が抱いていたであろう自然への畏敬の念を、自分はこのとき追体験したように感じた。

八合目は完全に晴れていたので、水に濡れたタオルや下着を岩の上で乾かした。着替えの方は濡れてなかったので、その場で服を取り換えることにした。ふと目をあげると、ここから山頂が見えたように思った。あとから知ったことだがあれはただの崖のようなもので山頂ではなかった。しかしその時自分は頂上まであと少しだと高揚したのだった。

いま思うに、嘘が必ずしも自分の心にとって悪いものではなかった。心が折れていても、希望があると思えれば気力が湧いてくるというものである。たとえそれが根拠のない嘘偽りであってもである。昔高校の頃、長距離を歩かされる学校行事に参加していた。その時PTAの方があと少しだよと声をかけてくださった。しかし全然目的地までたどり着かないのである。自分は当時うんざりとした気分になったが、今思えば、あの時実際の距離を知らされていたらその場にへたれこんでいたかもしれなかった。しかし偽りの希望を聞かされたことで、少なくとも自分はその地点からゴールまで半分は歩いたのであった。

人生もまたかくなるものではないのか。確かに今の現状を考えるに、自分が中学から大学まで必死に歩んできた道は無駄だったように思える。当時の自分には根拠不明の希望、何とかなるという楽観があった。この努力こそ自分を救うのだと信じていた。今思えば明らかにそれは不適当な思い込みだろう。しかしそのために、自分は少なくとも努力を継続できたのである。

改めて思うが、虚構を信じるということの力は相当なものであるように思う。冷笑しかすることのできない自分だが、こんな自分よりも信念で生きている人間の方がよっぽど強くたくましい。自分もこの時ばかりは似たような状態だった。自分が見たものは単なる崖でしかなかったが、しかしそのために足取りは軽くなり、自分はできると思えていたのである。

八合目からは平坦な坂が続いた。六合目よりはゆるやかだが、自分はこちらの方が苦しかった。というのも、この辺りから左肋骨下部あたりが痛みはじめたからだ。七面山に登った時も同じような症状が起こった。おそらくだが変な姿勢を続けていたために肋を痛めたのだと思う。それに加えて雨による体力消耗もあった。道としては今までの中でも楽な方に入っていたが、歩くことそれ自体が厳しくなった。

改めて思うが、岩場の方が簡単だと思った。自分が岩場に遭遇したとき、軍手を使って直接岩を掴んでスイスイと登っていた。このとき杖を持ってこなくて正解だと思っていたが、やはり平坦な道は杖があると強い。それぞれメリット、デメリットがあるのだった。とにかくこの平坦な上り坂が苦しかった。霧が出てきて先が見えないのもつらかった。

このとき自分が意識したことは、とにかく自分の行動をルーチン化することだった。具体的には5の倍数歩歩き、疲労を感じたら5回息つぎをする、というものだった。このアイデアは直感的なものだったが、実際にかなり有効だった。先の見えない中で先に進まなければならないとき、自分の心の救済となるのはこうした目に見えるものだからだ。

この時点において最も苦しかったのは低体温や肋骨の痛みよりも精神的な不安定さだった。意識がはっきりしていれば多少のことは耐えられる。しかし精神が焦点を失っていたら必要以上に体力を消耗する。このとき自分は自分の心の支えを自分で作ったのである。それがこのルーチン、少し歩いて少し進むというやり方である。それには私情を挟む必要がない。ただやるだけである。やればやるだけ先に進み、いつかは休息所にたどり着くのである。それが自分にとっての希望だった。今回の希望は先ほどのような嘘偽りや楽観などではない。道程の先に目的地があるという確かな根拠に基づいている。

ところで道中で奇妙な奇声を聞いた。外国人がインディアンのような声を発して喚いているのである。あれは何かと初めは理解できなかったが、途中でそれが登山客同士呼応させているということに気づき、ようやく理解した。あれは仲間同士が場所を確認するためのものだったのである。下の方にいる人間がアワワワと声を上げると上にいる人間がキッキーと声を出す。そうやって互いの位置を確認しあっていたのである。奇妙だったが面白い現象だった。

本八合目に着いたら目の前に巨大な山が見えてきた。あれが頂上だとすぐに分かった(と同時に、八合目で見た崖は別のものだと理解した)。この時ほど嬉しかったことはないが、いまここでのんびり休んでいる時間はない。自分はいそいでパンを2枚食べ、栄養補給を十分行った上で一気に登ろうと決めた。この時点では気力も体力も申し分なかった。だがここからが本当に厳しかった。

道はとにかく平坦な上り坂だ。ここからは景色が良くなってきて楽しくなってくる。しかしこのとき、雨で濡れた時の寒さで一気に体力が持って行かれた。日は出ていて、空は晴れているのに、自分の身体は寒いという状態だった。この寒さを凌ごうとカイロを追加で張ったが、そもそも体が冷えているのは体が濡れたままだからである。自分には乾いたタオルが1枚もなかった。それで普段よりも足取りが遅くなった。

九合目についてもそれは変わらなかった。むしろ空気が薄くなって余計に苦しくなっている。九合目から自分は声に出して息切れを起こしていた。ゼーゼー言っているのは自分だけだった。自分は無理をして九合目を登っていた。登山客のグループが小声で自分のことを心配しているのが聞こえた。

ひたすら平坦な坂道で苦しかったが、最後の方に岩場が来てくれたおかげで救われた。普通岩場に感謝するなどおかしなものだが、自分にとっては救いだった。それだけ平坦なだけの上り坂が自分にとっては苦しかったのである。最後の方ははやく終わってほしいとしか思えなかったが、心が乱されるのであまり考えないようにしていた。

頂上に着いた時の感動というのは今でも覚えている。今までみたことのないような雲海が一面に広がっていて、自分は死後の世界にいるのではないかとさえ思った。しばらく茫然と眺めていたが、今の時間を見ると既に16時になっていて、朝の遅れを含めると予定よりも3時間遅れていた。お鉢巡りは当然できないとして、そもそも日暮れまでには帰れるのかと不安になった。だから早々に下山することを決めた。

この時点で寒気でおかしくなりそうだった。便所の中は風がなく暖かかった(ずっとトイレを我慢していたので300円払ってここで用を足した)。しかし濡れてはいなかったので、だんだんと体温を取り戻しつつあることに気づいた。

下山を始めた頃は本当に楽しかった。肋骨の痛みが失せ、身体への負担が少なかった。人がいないときには坂道を走ったりした。あっという間に本八合目まで降りた。しかしここからが厳しかった。同じように下山する客が何人かいた。彼らは前の方にいたので、自分が下山する速度を調整しなければならなかった。この時自分は前方の登山客の進行状況に合わせて足を小刻みにブレーキをかけつつ降りるということをしていた。これがまずかった。ペースが安定せず、必要以上に体力を消耗した。はじめは楽しかった下山も、だんだんと苦しくなった。

自分の富士登山の最大の難所はどこかと言われれば九合目以降と答えるだろうが、二番目の難所はと訊かれたら本八合目以降の裏参道だと答えるだろう。それは体力的に厳しかったからというよりは、精神的な苦しさにあったからだ。

先ほど自分は霧の中でいつ着くか分からない不安と戦っているというようなことを何度か書いてきた。この時も似たような精神状態にあった。下をみてもどこがゴールだか分からない。同じようなジグザグの坂道を延々と下り続ける。外の景色はいつまでも変わらない雲海。その風景の単調さが自分の正気を霧以上に蝕んだ。まるでGarry's modの自作マップにいるかのような気味の悪さがあった。

ついに耐え切れず座り込んだ。座り込んだといえば、登山の間中面白いことがあった。普段は誰も止まらないようなところで自分が疲れた時に道端で座り込むと、他の登山客も同様にそこに座り込むのである。これが何度かあった。自分が座り込んでいるという前例が、ここで休息しても良い場所であるというサインとなるようである。

このとき最後のウイダーゼリーを飲み干し、カロリーメイトを頬張った。気が付くと夕日が沈んでおり、だんだんと暗くなってきた。それでもまだ同じ坂道が下に続いている。今度は日の光がなくなって、道が見えなくなる。坂道が見えなくなる分救われるが、今度は周りが見えない中で歩かなければならなくなる。

しばらく下山すると本当に真っ暗になってきた。手持ちの懐中電灯を持ってきたが、あまりに光が弱いため使い物にならなかった。もうひとつ予備のライトを持ってきたが、こちらは光が強く歩くには十分だった。空一面には星が広がっている。体力があれば楽しむ余裕もあったのだろうが、自分はもう前しか見られなかった。

本八合目の下り坂からは七合目の緊急トイレまで何もない。だからトイレを目指して自分は下山していた。トイレについたのは周りが暗くなってしばらく経ってからだ。ここから六合目の登りに入った合流地点まで歩いて行く。

しかしそこまでがかなり長かった。どれだけ歩いても暗闇というのは霧と同様、距離間隔を見失わせる。また暗闇になったことで、自分が今どこにいるのか本当に分からなくなった。唯一の便りは登りの時にもらった小さなマップだが、自分がもし道を外して変な方向に行ったとしても、またそれに後々気づいたとしても、どこまで戻ればいいのかわからなくなる。道中には標識などほとんどないからだ。

その懸念は六合目に着いてから更にひどくなった。六合目からはもう入り口の富士スバルライン五合目を目指すだけだったが、それとは別に吉田口という別の入り口もあったのである。自分が今歩いている道は富士スバルラインの方向なのか、吉田口の方なのかが分からず随分混乱した。スマートフォンで位置を確認しようとしたが、充電がほとんどなく、また地図の居場所も曖昧だった(唯一の救いは、富士スバルライン五合目の方向が分かったということである)。

悩んだ末にとりあえず行ってみようと思って坂を下ったが、そこでようやくこちら側が富士スバルライン五合目の方向だということを理解した。それであとはただまっすぐいけばいいということが分かった。このとき謎の集団が富士スバルライン五合目の方から階段を登ってゾロゾロと歩いてきた。彼らは日の出を見るために今から登るのだろう。

白糸の滝のあたりで最後のカロリーメイトを食べた。奇妙なことだが、最後の足取りは今までの中で一番早かった。体力もほとんど残っておらず、気力も無かったはずなのだが、どういうわけか足取りは軽かった。調子が良くなって、楽しくなってきた。本来なら40分近くかかってゴールに着く予定だったのが、わずか20分足らずで着いてしまった。

これで自分の富士登山は完了した。完走した感想だが、やはり富士山を甘く見ていた。日本で最も有名な山で、一般人も来ていることから、初心者向けに整備された登りやすい山だろうと高をくくっていた。半分は正しかった。一泊して富士山に登るつもりならそこまで難易度は高くないだろう。しかし日帰り登山となると中級者向け以上になるのだろう。

今回の反省点は何より雨を甘くみていたということだった。雨は思った以上にザックにしみ込む。だから次からはザックカバーを持ってくるか、ザックの中のタオルや着替え、財布等の貴重品を【予め】ビニール袋に入れておくべきだった。先ほど言い忘れたが、あの雨で財布のお金が濡れた。スマートフォンも水に晒された。こうしたことを登る前に予め自覚できていればよかったと後悔した。しかし次からはこの経験から注意できるようになるだろう。

登り切った直後は二度と行きたくないとさえ思っていた。しかし今振り返ると、富士山に登ったのはとても良い経験だったと思った。1日の中で様々なことが起こり、様々な環境に晒され、その度に折れそうになり、それでも最後までやり抜いたという経験が、自分の中で達成感を生んだ。明らかに充実した1日だった。

今度登るとしたら防寒対策、防水対策を徹底してから行くか、もしくは一泊しながら余裕をもって登ろうと思った。富士山からの日の出を見てもいいかもしれない。そう考えると今回お鉢巡りをしなくて正解だと思った。また登る理由が1つ生まれたからである。