人生

やっていきましょう

1172日目

かつて自分の知り合いだったが、気づいたら自分から離れていったネットの知り合いのことを思い出した。長年ネットをやっていると、そういった類の知り合いが何人かは出てくる。当時は気付かなかったが、どれも最後は自分を嫌っていたように思う。

何が問題だったのかは忘れたが、自分が無意識に上から目線だったか、こちらの話の趣味が合わなかったか、自分のメンタルの不安定さに嫌気が差したかのいずれかだと思う。当時の自分を振り返ると、確かに人との関わり方が絶望的に下手だったなと思わずにはいられない。現時点での知り合いはそこまで悪くはないので、自分の関わり方もマシになったと思う。

上から目線についてだが、当時の自分はかなりの上昇志向だった。その上昇志向はある程度現実に基づいたものだったが、周りにもその態度を暗に強いていたように思う。しかし今の自分だから分かることだが、人生の過程で大きく挫折して立ち直れないでいる中で俺たちはまだやれる、もっと上を目指せるといった態度を無邪気にひけらかすというのは不快なものである。その知り合いの一人は中退していたし、もう一人は家族の介護をしていたと記憶している。

メンタルの不安定さについても言わなければならない。当時自分はゲームで自分の心の不安を、まるでブログに吐き出すかのように長ったらしく知り合いに向けてチャット欄で書いていた。そうすることで自分の頭の中では思いつかないような、第三者の視点を得ようと考えていたのである。しかしあれは相当な迷惑だったと思う。確かに徹夜で問答し続けるといったことは仲のいい人間にしかやらなかったが、関係の浅い知り合いにも似たような話題を投げかけていたことがあった。これは相手からすれば良い迷惑かもしれないと思った。今ではもうそういうことはやらなくなったが、当時の関係者には迷惑をかけたと思う。

しかし自分には、やはり趣味が合わなかったということが彼らの離れた一番の理由だったように思う。当時の自分が話す話題はどこかしら哲学めいたものが多い印象があった。当時は本当にそれらについて関心があったのである。しかしそういった話題をある人は「お高くとまっている」とみるかもしれないし、ある人にとっては「自分の嫌いな勉強の話」と捉えるかもしれなかった。そうした想像力をなくしてそうした話題ばかりを投げかけていたのはかなり自己中心的だった。

これらを考えて改めて思うのは、自分は人と関わるとき相手が何に関心を持っているかをまず見極める必要があるということである。それは自分を無理に相手に合わせろということではない。相手の関心が自分にとって近いものであれば遠慮なく自分の関心を話せばいいし、そうでなければそこまで相手に近づく必要はないということである。

かといって自分の関心にのみ心を開けということでもない。自分と異質な関心の持ち主に遭遇した時、礼節をわきまえ話を交わすことは、それはそれで価値のあることだと自分には思える。自分が言いたいのは、目の前の人間が自分側の人間かそうでないかを判断し、そうでなければ無理強いはするなということである。当たり前のことだが、自分の関心を相手も同じように持っているわけでもない。逆もまた然りである。