人生

やっていきましょう

1181日目

都心を20km渡り歩いた。15時頃から歩き始め18時頃に疲れてやめた。道程は新宿駅南口から皇居を目指し、更にそこから一周するというものだった。帰りは疲れていたので電車に乗った。たった3時間の行程だったが、中身は充実したものだった。

15時頃、新宿駅南口を出発。走るつもりでいたが人混みが多かったので歩くことにした。昼間から音楽を披露するミュージシャンが屯していた。外は暑かった。

新宿御苑で遅めの昼食を取ろうとして中に入ったが、料金を取られることを知らなくて急遽場所を変更することにした。一般人で500円は高いと思った。近くの史跡に丁度いい場所があったので食事をとった。どういう史跡か気になったが食べ終わった頃には忘れていた。

四谷を目指して歩いていると、一人のサラリーマンがスーツケースの上にかかっていた上着を落としたことに気づかず先に行ってしまった。誰か助けてやらないかとしばらく様子を見ていたが誰も助けなかったので自分が拾って本人に返した。電話の最中で意識が回らなかったらしい。この善行の動機についてしばらく歩きながら考えていたが、大した考えがあったわけでもなく気が付いたら助けていた、もしくは手助けしないことの罪悪感から行動した、という2つが今のところ実感の伴った答えだった。

そうこうしている内に四谷見附橋が見えてきた。向こうには上智大学の尖塔と十字架が見えている。ここに来るといつも新宿とは違った趣を感じる。皇居についても同じ印象を覚えるが、建物ばかりのイメージしかない東京で、空が開けた場所というのは贅沢に思えた。この都心とは異なる解放感の対比に自分は満足を覚える。

四谷見附橋を渡り終えると、国境なき医師団の人間が手に何かを持って通行人に声をかけていた。自分はティッシュか何かと思い貰おうと思ったら、渡すのではなくこれは何の食べ物だと思いますかと急に問いかけてきた。自分にはティッシュにしか思えなかったので思考が停止していた。英語で何か書かれていたのでよく読めばよかったとおもった。答えは難民の子どもたちが食べている食事だということだった。中身がほとんどなく薄い袋だったので、腹を満たすのには十分ではないだろうなと思った。ちょうど自分も空腹だったので、その思いが少しは理解できた。

そんなことを考えていると、今日1日中通行人に声をかけていたが、立ち止まってくれたのはあなたが初めてだと言ってきた。そうやって関心を惹こうとしているだけなのかとも思ったが、東京だと本当にそうだと思わずにはいられなかった。自分が東京で学んだことは、とにかく勧誘には関わらないということだ。軽い関心で耳を傾けると釣り針にかかった魚を自分のものにしようと必死になって自分を囲って来る。東京の人間はそうしたことが良く分かっているので、初めから関わろうとしないのだった。

とはいえ、ティッシュを渡すと見せかけて難民の子どもたちの食べ物を当てさせるというやり方には関心した。これなら避けようとしても足止めを食らってしまう。自分は彼の話にしばらく耳を傾けていたが、その一方で自分の警戒心の無さについて意識が向いてしまっていた。田舎者の性か世間知らずの欠点か、とにかく自分は他人というものを信頼しすぎている。自分は旧知の仲に対して、相手の選択を誘導したり束縛せず、必ず提案を拒否できる自由と選択を与えるようにしている。それが他の人間にとってもそうだと無意識に思っていたが、この世は世知辛く、そんな甘えたことをしていたのでは客も取れないということなのである。

もっと話を聞いて行きませんかときたので、自分は行くべき場所があると言って別れを告げた。しつこく足止めしない点については好感が持てた。しかし改めて思うが、東京の街に漂う無関心と勧誘にはともに無機質なものを感じる。無関心は言うに及ばないが、とくに勧誘というものがある種の目的を伴った手段、非人間的な関わり合いのように感じるのである。善人そうな面をしているために一層その人間味の無さが目立つ。

あれこれ考えているうちに目の前に皇居が見えてきた。一旦トイレに行きたかったので近くの靖国神社を目指すことにした。途中大勢の人間が建物の前に花束を置いているのを目にした。はじめは有名人の交通事故か何かと思ったが、そういえばここはイギリス大使館だったということを思い出した。エリザベス2世の崩御は記憶に新しい。既に数日は経っていたので、今日は何か催しものがあったのだろう。あまりの花束の多さに写真を撮りたくなったが、故人に悪いと思い敢えて撮らなかった。

そろそろ足が痛くなってきた。靖国神社に到着するとまず便所がどこにあるかを探した。しかしいくらさがしてもどこにもなかった。境内にあるかと思い中に入った。確か近くにあったと思ったがそれでもなかった。諦めて帰ろうと思ったが、ここまで来て何もしないのは悪いと思い参拝をした。深い意図はないが手を合わせたくなった。この辺りでトイレのことを厠と思い始めた。厠はどこだと反芻することで古風な人間になったつもりだった。

帰り道に厠を発見した。観光地だからかとてもきれいなトイレだった。自分が東京に来てしばしば思うのは、トイレの小便器から洗面台に至るまでのデザインの妙だった。普段見慣れた古臭いものとは違い、無駄な装飾を排したシンプルな機能美を感じるのだった。それでいながら輪郭は単なる立方体でない、注意を惹くような曲線を描いている。こうしたデザインを何というのか自分は知らないが、よく考えられてあるなと感心した。

便所から出た時はすっかり夕方になっていた。時間を見たら16時だった。今から歩いて日暮れまでに間に合う自信がなかった。今から歩こうか考えていたが、さっきからの空腹で歩く気になれなかった。ずっと歩き続けてきた自分にとってパン2枚では足りなかった。そこで靖国神社を出たところの九段下のコンビニに行ってカロリーメイトを1つ買ってきた。詳しいことは知らないが経験的にカロリーメイトを食べれば飢えを凌げ、気力が回復するということを心得ていた。2ブロック食べたら案の定元気が出てきた。今なら走れると思い少し走った。

靖国神社に向かったあたりから、皇居のランニングコースを逆走しようと思いついた。普段のコースだと下り坂から平地という流れになるが、今回は逆走するので最後にきつい上り坂が来る。そのことを不安に思ったが別にどうとでもなると思って走り始めた。

小学生くらいの子どもが何人か竹橋駅あたりを走っていた。サッカーの服を着ていたので部活か何かだと思った。都心の子どもたちは小さい頃から皇居周辺を走るのかと思うと羨ましい思いがした。野山を駆け巡った方が良いとも思ったが、このビルの合間を走るというのはまた違った面白さがある。自分も子どもになったつもりで走ったが既に消耗しきっていてすぐに息切れを起こした。

丸の内あたりに来ると大企業が連なる道に出る。ここら辺で働いている人にはおそらく自分の同期もいる。そう考えると今の自分の境遇を虚しく感じないこともないが、不思議とそこに苦痛は感じなかった。自分に何ができて何ができないかが問題なのであり、他人を不当に妬むべきではないのである。以前はその言葉に強がりもあったが、今では自然とそう思えている。以前よりも他人に対する関心が薄れたということだろうか。

歩道から見る夕暮れ時の東京駅は格別である。ここもまた自分が東京で解放感を覚える数少ない場所である。毎回ここで写真を撮るのだが、家に帰ってみてもその解放感は味わえない。この空気はその場にいなければ分からない。側面に並ぶベンチで寝っ転がってる人がいた。面白い光景だと思った。

帝国劇場を目指して歩いていると、ウェディングドレスとシーツを着た男女が写真を撮っている光景が目についた。奇妙なことに1度ならず2度も3度も目にした。彼らに対して抱く感情は羨望や嫉妬、自分の劣等感などではなく、動物園の珍しい動物を見る時のような好奇の心だった。明らかに自分の世界ではない外の人間が華々しく自分の人生を彩っているというのは、そうそう目にできるものではない。自分がロンドンに行ったとき、ロンドン橋の上で日本人の新郎新婦が同じことをしていたが、あれと同じ感情だった。

そして畏敬の念すら覚えるのである。彼らは日本の礎となり、社会に貢献し、これからの日本を担っていく人間たちである。彼らには信じられる未来がある。もっと言えば、強く信じられるような虚構がある。そこに自分は感嘆する。自分が旅行先のオックスフォード駅で見た、おそらく資産家の息子娘たちであろう学生たちの、余裕と自信に満ちた様を思い出す。彼らには生きようとする意志がある。

バスの中で見たフランクルの『夜と霧』を頭の中で思い起こす。終盤近くに自己崩壊を起こした囚人が出てきた。同じ囚人が揺さぶったり声をかけても一向に反応しない。寝そべりながら糞や尿を漏らすといった描写だった。フランクル自身は彼が自己崩壊を起こしたのは目指すべき未来を失ったからだと言っていた。これは自分にも当てはまる。未来に対する展望を失い、何をやっても無駄だと悟ると自己崩壊を起こすのだ。

だから自分の目には、未来への展望という虚構に向かってそびえたつ数々のビルディング、その下で賢明に生きる若い意志の力を偉大だと思うのである。彼らは皆本当かどうかも分からない虚構を心の底から信じ切っていて、そのために懸命に生きようとしている。皮肉以上に凄いという言葉しか出てこない。

自分が走るときはいつも考え事で頭がいっぱいになる。ランニングが自分の想像力を掻き立てるようである。目の前には代々木公園が見えてくる。自分は何か走りたくなるような気分になって、国会議事堂あたりまで走った。普段は横眼に見て通るだけだったから、真正面からみたのは久しぶりだった。この辺りには新聞社が多いと感じた。政治を追うのに何かと便利なのだろう。

この辺りから上り坂がやってくる。普段は目にしない光景だ。日が暮れてきた。そろそろ足の方も限界になってきた。カロリーメイトで満たした胃にも限界がきている。自分ははやく夕飯が食べたいと考えることしかできなくなっていた。

坂を登り切った頃には日が暮れていた。そういえば自分はずっと皇居を歩いている間、aoe2のBGMをずっと流していたのだった。走る曲としては微妙だが、歩く曲としてはなかなか良い。というのも、この曲からは作業を思い起こさせ、疲労状態に特有のネガティブな発想を抑えることができるように思えるからである。

人間を苦悩から救うのは作業である、ということをしばしば感じる。あれこれ考えず目の前のことに集中し実際に行動に移すだけで、自分の意識は答えのない問題、及びそれに翻弄される不安から、明確なゴールへと至るための方法と判断へと向いて行くからである。不安は具体性を帯びた瞬間に弱まる。だから自分は歩くことに半ば中毒になっている。

坂を登ったら最初に来た場所に戻っていた。ここからどうするか迷っていたが、とりあえず近くの駅に行って夕食を取ろうと考えた。自分が食べたいと思ったのは大学近くにあるラーメンだった。数年間食べていなかったので、1度は食べに行きたいと思っていた。本当は大学まで歩いていこうと考えていたが、体力の消耗が激しかったのでやめた。久々に東京の電車に乗った。

奇妙なことに、自分は当たり前のように電車に乗ることができたのである。これには驚きだった。たしかに電車に乗るだけなら単純な作業だが、疲れているのに線路を間違えたり乗り遅れたりせず、突然孤独と不安に襲われて眩暈がすることもなく、しっかりと現在の位置とこれから目指すべき場所を判断できたのである。これには驚いた。明らかに2018年の段階ではこの確かな判断は有していなかった。それだけ自分のメンタルも安定してきているということだろうか。

大学近くの駅に降りて真っ先にラーメンを注文した。夕食時だったので並んでいると思っていたが、意外と少なかった。ラーメンは並。ライスも注文しようと思ったがやめた。とにかくラーメンが食べたかった。出されたラーメンは数年前と何も変わっていなかった。それが自分にとって、何かしらの救いとなった。というのも今まで自分の中で数年前のことは完全になかったことにされていたからである。ラーメンの味に喚起されて、そういえば自分はかつてここにいたのだということを強く実感した。とにかく懐かしかった。

ラーメンを食べ終わると大学が見たくなった。これは自分にとっては奇妙なことだった。今まで過去のことを思い出したくなくて大学を避けていたからだ。しかし自分にはもう避ける理由がないのである。それは良くも悪くも自分にとって母校の大学が、まったく関係のない場所になってしまったからだ。かつてそこにいたらしいという曖昧な記憶だけがある。それは大学近くまで行ってもそのままだった。ラーメンに抱いた感情とはまた別だった。懐かしさ以前に新鮮味があって面白かった。

帰りは新宿のバスに乗った。本を読もうかと思っていたが、疲れすぎていてそれどころではなかった。ぼんやりとTwitterを眺めるくらいだった。眠ってしまおうかとも思ったが、とにかく喉が渇いていた。バスに乗る前にバスタ新宿ファミリーマートで1000mlの緑茶を買ったのは英断だった。500mlのアクエリアスではとても足りなかった。

家路についたとき、途中車に乗った酔っ払いの若者が笑い声とともに「お兄さん、お仕事お疲れー」と大きな声で叫んできた。やはりここは東京とは違うなと感じた。