人生

やっていきましょう

1197日目

十数年狩りを放棄し続けていたMMORPGで再び狩りを再開した。はじめは期間限定のイベントのストーリーを追うために一時的に復帰していたのだが、気が付いたら1週間以上モンスターを狩って遊んでいた。それまでこのゲームはほとんどチャットでしか利用したことがなく、前回のブランクを踏まえると狩りは5.6年ぶりになる。

最後に狩りをしたときの前にも空白があった。中学生の頃から大学に入るまではほとんど狩りをしてこなかった。周りの人間が驚くべき成長を遂げていく中、自分は未だ中間地点で踏みとどまっていた。そのため狩りの知識がほとんど更新されておらず、当時誘われて復帰した際にはその変容ぶりに驚きを隠せなかった。だが今回の驚きはそれ以上だった。

まずはじめに驚いたのはレベルが信じられないほど速く上昇するということだった。このことは以前から話を聞いていて理解したつもりだったが、いざ体験してみるとその凄さは想像以上だった。普通にモンスターを狩っていれば10分程でレベルが上がる。しかもこれが等倍であるというから驚きである。自分がやっていた時代には1レベルあげるのに数日かかることがザラだった。

だがこんなものは序の口で、イベントに参加すればこの上昇値を3倍にすることもできる。のみならず、消費アイテムを使えば1秒でレベルを10上げることもできる。実際自分はいくつかのイベントを利用してレベルを40以上伸ばした。本当にあっという間であっけなかった。

だがそれは同時に虚しいものだった。随分前の、自分の味わった苦労を考えればこんな簡単にレベルを上げていいものかと思うのである。

しかしこれには納得のいく理由がある。このゲームはある一定レベルまではこのようなふざけた調子でレベルが上がるのだが、それ以降は本当にレベルが上がらなくなる。経験値を2倍にし、イベントで前述の消費アイテムを入手しても、そこから最大レベルにまで上げるのには相当な苦労があるという(不定期的に最大レベルが更新されており、現時点での最大レベルに達したユーザーは一人もいないようである)。

つまりこのゲームはその一定レベルまでがチュートリアルであり、そこから先が本番であるという路線に変更したのである。この変更はおよそ納得のいくものであり、このレベルの上昇のしにくさをもってこのゲームは長期に渡って幅広く遊べるものとなった。現時点で自分はまだそのレベルに達していないが、これから先に味わうことになると思う。

だがこれ以上に驚いたのは、ストーリーの演出が劇的に変わっていたということだ。自分が遊んでいた当時はNPCが一方的に話すだけだった。だが今のストーリーでは自分のキャラクターにセリフがついている。そのセリフというのが厄介だった。端的に言えばあらゆる面でニュートラルな性格であり、人間性や個性をまったく感じさせないのである。自分の考えと感情を持ち、礼節をわきまえ、判断力を持ち、勇者としての目標を自覚しているが、その人らしさというものがまったく見えてこない。まるで機械が人間の言葉を話しているような印象を受ける。

性別職業ごとにセリフを用意する手間を省くためか、海外産ゲーム特有の翻訳事情かは分からないが、これが自分にとって相当な苦痛だった。自分は自己投影をするためにキャラクターメイキングをしてゲームをしているというのに、ゲーム上に映るのは自身のキャラクターグラフィックスを模った別の「何か」である。漂白された性格に基づいて機械的に交わされるキャラクターの茶番を見る度に、自分はどこか虚無感を覚える。

誰もストーリーなど見ていないから別に気にすることでもないかもしれない。現時点でこのゲームの主要なコンテンツはモンスターを狩り、経験値を集めることである。それが最優先事項であり、ストーリーなど二の次である。そう思えばこそこのゲームは楽しめるのである(実際に自分は狩りを楽しんでいた)。

だが自分は、それでもキャラクター自身のセリフを追加すべきでなかったと思うのである。キャラクターメイキングという自己投影を可能にする設定と、既定の主人公という固有のアイコンが話しているかのようなセリフとでは水と油である。なぜならその両方はまったく別の動機に根差しているからだ。

ロールプレイングという観点から見れば、キャラクターは自己投影、ないし意図した実験的な人格の投影であるということになる。この場合キャラクターメイキングはもちろん、キャラクター自身の性格も自分で設定できると考えるのが常である。そうであればこそ、自分は善人にも悪人にもなれるのであり、愚人にも賢人にもなれるのである。

一方、キャラクターが活躍するゲームというものも存在する。主人公AがA個人の動機に従って行動する。この場合Aはプレイヤー自身である必要がない。こうしたゲームを遊ぶ動機にはAという「キャラクターを通じて」自己投影したいという思いがあるか、あるいはそもそもA自身とその周りとの関わりを鑑賞したいという動機がある。

どちらが良いということではない。だがロールプレイを楽しみたい自分からすれば、積極的にロールプレイを奨励していた当初のゲーム方針からは大きく離れてしまったと感じるのである。

自分の覚えた失望は、古い時代の名残を新たな為政者によって蹂躙された老市民のそれに近い。現状の運営方針は明らかに数値競争の奨励に主眼が置かれており、その他のロールプレイの可能性が排斥されている。その最たる例が自身のキャラクターのセリフであるように思える。あたかも主人公は世界の平和のために戦わなければならないかのようなセリフを言わされているが、そう考えて行動しているのは主人公のアバターを模ったNPCであって、自分ではないのである。

別に嫌ならばストーリーを見なければ良い、狩りをしなければ良い、という話ではある。しかしそれだけを理由に辞めるには惜しいゲームである。以前は狩りなどしなかったが、改めてゲームに触れてその進化の目覚ましさに感心したものだ。それだけに惜しいことをしていると自分は思う。

惜しいと思うのは主人公のセリフがなくとも話が通じてしまうという点にある。ストーリーに関係ないボス入場やショップ、イベントの概要などは、NPCの一方的な説明で事足りている。ストーリーも同様に、NPCに一方的に話させておくか、選択肢で応答させる形を取ることは不可能ではない。それだけに主人公のアイコンが話しているのを見ると余計だと感じるのである。

とはいえ、こうした路線に目立った不満が上がらないところを見ると、多くのプレイヤーはこの現状に納得しているのだろう。あるいは無関心というべきか。こうしたセリフの問題は狩りというメインコンテンツには直接関係しない前座みたいなものであり、この質が悪いからといって経験値量とゲーム内通貨に影響があるわけではない。だから後々流行の変化でもなければ、これから先もこのスタンスを改変することはないだろう。

こんなものは愚痴でしかない。単に長年このゲームをやってきて形成された自分というアイデンティティと、運営側が想定し提示するプレイヤー像との間に乖離が生まれているというだけである。昔は良かったと嘆く老人と何も変わらない。環境は常に変化する。何であれいつまでも自分の都合の良いままであるということはない。