人生

やっていきましょう

1233日目

優れた創作は何を省くかということに焦点を当てるという。初心者にありがちなのは、自分が表現できることはなんでも表現しようとすることである。しかしその過剰によって創作の情報量は多くなり、読み手に作品の意図が伝わりにくい退屈な作品になる。

自分の創作を見るとこの過剰が散見される。つまり何から何まで自分の言葉で説明し尽くそうとしているのである。こうした作品を作り手による支配欲の表れであると見る人がいた。曰く表現の過剰は作り手の解釈を読み手に強制しようという試みであるという。これには強く同意する。自分の言葉の過剰は誤解されることへの恐れから来ている。

情報量の多い作品は退屈である。自分がドストエフスキーの『罪と罰』や、メルヴィルの『白鯨』を読もうとして断念したのは、この情報量の過剰による。自分もまたそれと同じ轍を踏んでいる。

ハンターハンターという漫画がある。昔友達の家で見せてもらって、以来ハマった漫画のひとつだが、近年は言葉の過剰という傾向に陥っているようである。コマ割りはされているが、1つのページだけで一人のキャラクターの内面が文字でびっしりと刻まれていたシーンがあった。

こうした情報量の過剰は読み手としては退屈だが、作り手としては親近感を覚える。作っていると情報は勝手に増えるものだ。ある程度までは削ることができるが、しばらくすると削れない部分が増えてくる。それで結局妥協できずに残してしまう。

こうした作品はとても息苦しい。このような自覚もあって、自分は極力情報量を削ろうと考えているが、なかなか思うようにはいかない。自分には