人生

やっていきましょう

1244日目

他人のSNSの会話などを見ると奇怪な印象を受ける。言葉の意味は通じるが、情報量に乏しく文章としては違和感を覚える(悪く言えばコミュニケーション能力が乏しい印象を覚える)。にもかかわらず、そのような会話で彼らは互いに意思疎通が行えており、自分から見ればそれは超能力のように映る。

奇妙な事実がある。自分はまったく会話ができないということである。何を話せば良いか、どう会話をすれば良いのか未だに理解できていない。しかし文章の上であれば、自分の言葉が尽きるまで自由に表現を行うことができる。

なぜこのようなことが起きているのか。自分は次のことを考えている。すなわち彼らと自分のロジックはまったくの別物であるということである。

自分が彼らと呼ぶ存在は(もちろんすべての他者でなく、ある一定の層のことを指しているのだが)、文章表現の密度が薄いという一貫した特徴がある。しかしそれは単に語彙力の欠如を示しているのではなく、彼らの表現は言葉だけに限らないものであるということを示している。

彼らの多彩な表現は、表情、声の抑揚、ボディランゲージなどによって行われる。自分の考えを文字にして表すというのは彼らにとって選択肢のひとつでしかない。そのため文字にのみこだわる必要がない。

しかし自分には、自分の思考を文章にしてまとめることしか他者と意思疎通を取る手段がなかった。自分には彼らの暗黙知

彼らは文章というものが、自分と異質な人間との間に理解を構築するためのものであるとは考えていない。

同質な