人生

やっていきましょう

1261日目

長い間ひとつの作品を一人で創作をしていると、その作品の出来に対して不安になる。自分の作品は面白いのか?演出に違和感はないか?自分の書いたセリフは意味が通じるものか?考えはじめたらきりがない。

最も懸念していることのひとつは、自分の知識量があまりに少なすぎるということだ。作品は自分の知っていること以上の問題をテーマに扱うことができない。例えば今自分は利権がらみのシーンを描いているが、利権問題というものを自分は全く知らない。ネットで調べた情報を頼りにどうにか外観だけを模倣しただけであり、周辺知識があまりに少ないのでその浅さに不安になってくる。

知識量の少なさを補うための自分の戦略は、テーマがおよそ小学生にも理解できるものであるかどうかを判断することである。たとえば政治の問題について考えるとき、それを小学校のクラス学級に置き換えて理解できる問題であるならば、自分はそれを扱う。そうでないならば扱わず、それでも必要であるならば多くを調べて自分の言葉で要点を言えるくらいにまで学習する(これがなかなか難しい)。

自分には創作の才能はなく、ただ単純に忍耐によってここまで開発を続けてきた。枯渇したアイデアを補ってきたのは身近に触れられる映画や漫画、ゲームやアニメなどであり、受け売りを融合させてアイデアを生み出す。こんな作品が面白いわけがない。

自分にこう言い聞かせる。作者はすべての物事について言及する必要はない。理解する必要もない。自分が扱うテーマに対して責任の持てる範囲で表現すればいい。その範囲を見栄や強がりで広げてはいけない。その分野に対して無知であり、また自分の知能で学習が困難である場合は、本当にその対象を表現したいのか今一度問い直し、現実的な判断をもって進退を決めるべきである。

特に言いたいことは、自分はこの作品に対してあまり高度な知識を求めてはいけないと感じている。というのもこの作品の本来のコンセプトはプレーする人間が無理せず楽しめるものだったからだ。高度なテーマを扱うならば、はじめからその分野に関する書物を10冊は読み、大抵の前提となる情報を把握しておくくらいの気概が必要である。そうでない道を選んだのだから、自分は自分のレベルの低さにもっと自信をもって良い。

最も避けるべきことは、中途半端な出来に仕上げることである。一般向けと謳いながら深いテーマを捨てられず、しかしそのテーマの知識を数少ないシーンのためだけに学習する気力もなければ、知能もない。そうやってどっちつかずでダラダラと作って生まれた作品が一番つまらない。

よって自分は勇気をもって、無知は割り切ると宣言しなければならない。浅いテーマであって良し、くだらない茶番であって良し、小学生の描いたポンチ絵であって良し、そう自分に言い聞かせるがいい。今回自分が追及すべきは高度な知識に裏付けされた驚くべきリアリティなどではなく、単純に「面白いかどうか」であるということを忘れてはならない。