人生

やっていきましょう

1271日目

面白いことに気がついた。自分はこの1年まったく勉強をしていない。最後に勉強したのはTOEICで830点を取った4月である。それ以降何をするでもなく、地道にゲームを開発して1年が終わった。

勉強をしないということに危機感がある。2018年頃の段階ではまだ勉強をどうすればいいかという感覚はつかめていた。あれから4年、自分は勉強のやり方をどうすればいいか忘れてしまった。そんな状態でTOEICに挑んだ自分に驚いている。

勉強といっても資格勉強に限る必要はない。たとえばウディタに頼らないゲームを作ろうと思って、Unreal EngineやUnityを使うための方法を学ぶ。趣味で語学をやろうと思って単語帳と向き合う。ある分野に少し詳しくなろうとおもって本を読む。そんなことでいい。しかし自分にはそうしたことをする動機がない。

このままでいいはずがないが、別にどうでもいいことでもある。自分は既に他人との比較を捨てた。世の中には自分よりも優秀な人間が山ほどいて、自分はその中での落ちこぼれだろう。だが重要なことは、他人との差に一喜一憂するのではなく、自分がどれほどできるかということだ。前の自分よりも今の自分ができていればそれでいい。

こうした満足は危険だと前は思っていた。競争が人を発展させるということを自分はよく知っている。しかし今の自分に必要なのは、競争によって自己破壊的になるのではなく、自分の弱点をよく観察し改善につなげるということ、それから自分が本心から学習意欲を持つことができる対象を見つけるということである。

つまり自分はオタクになろうとしている。オタクというのは自分の興味関心を第一に考え、他には愛想でも興味の持てない人間である。自分はオタクを嫌悪していた。しかし自分の孤独が宿命づけられた今、オタクという存在にある種の尊敬の念を抱き始めているのである。それはオタクが信念の生き物であり、周囲に流されない強さを持っているからだ。

自分ももう30代間近だが、何かひとつ突出した能力を持ちたいものである。だがそれは考えていれば空から降ってくるというものではない。色々なものに触れて、さまざまな体験を通して見いだされるものだと思う。

いま自分は何事にもまったく興味が持てない。基礎を知るという気にもならない。しかしここで諦めるには惜しいと思う。何かひとつでも自分が極めたいと思えるものを見つけたい。しかしそれは世間の目を気にして行うものであってはならない。世間に期待される、評価されるスキルだからという理由で始めたら、自分は長続きしないだろう。