人生

やっていきましょう

学ぶということが自身の改善に繋がるとは限らないが、現状学ばないでいることは自身の知識や思考を修正する機会を失うばかりでなく、それらを自明のもとに埋没させることにもなる。

老人が若い世代に比べて適応に難があるのは加齢によるものばかりではないだろう。彼らは新しい世代の常識を学ばないために、自身の常識感覚を頼りにする他にないのである。

このことには自分にも危機感がある。自分は10年ほど前から既に新しいことを学ぼうとしていない。自分の感覚を前提にして美醜や好悪を判断している。価値観の問題ばかりではない。正しいか正しくないか、妥当か不当かを判断する物差しが、自分の高校生までに培った浅い常識感覚しかないことに自分は気づいている。

こうした狭い了見にありながら、しかし誰もそのことを指摘せず、いつしかお山の大将になっている自分がいる。つまり自分は分からないことが多いには多いが、結局大抵のことは感覚で理解できると思い込んでいるのである。

しかし現実には、自分の理解力、適応力、およびそれらを支える含蓄は思っている以上に少ない。本当に少ない。自分の浅はかな人生経験でしか物事を捉えきれない自分に嫌気が差す。

こうした不安につけ込んで、新たな判断基準を植え付けようとする人間がいる。だが自分は容易に他人の物差しを借りるべきではないのだ。思考や知識の修正自体は他人にもできるだろう。だがそれらを自分の意識下に呼び戻しコントロールすることができるのは自分しかいない。