人生

やっていきましょう

自分はこれまで避けてきたが、実は重要なものだったと後になって気づいたものがある。忘れないうちにいくつか書き留めておこうと思う。

まずは【経験】。自分はこれまで経験というものを軽く捉えていた。自分は昔から現実で実現できるものはすべて思考の中で再現できなければならないと思い込んでいた。おそらく知性に対するコンプレックスからか、愚者は経験に頼るという妄想があった。自分はそこまで賢くなかったが、悔しかったので是が非でも頭の中だけで解決しようとした。

しかし経験を欠いた思考はしばしば現実から離れたものになる。例えば野球でバットを振るという動作がある。この「バットを振る」という言葉を自分はどの程度理解しているのか。野球経験のほとんどない自分にとって「バットを振る」という動作は「ボールが飛んできたらそれに目掛けてバットを当てる」ということ以上の情報を引き出せない。おそらくもっと賢い人間は、動作を細かく分割し個々を言語化した上で理解に統合させるのだろうが、それにも限界がある。なぜならその理解は自身の身体に基づいた情報を反映していないからである。

自分が頭の中で考えついたものと、実際バットを振るということには大きな隔たりがある。思考は情報を俯瞰したり整理したりする上では役にたつが、現実との反映の中で学び得る情報を自身に定着させることには向いていない。

自分は大きな過ちを犯していた。経験に頼らないから賢いだとか、思考を使わなければ駄目だという考えは間違っている。思考とは、ある一面において優れた効能、機能を有するものであり、それは経験においても同様に言えることだった。経験によって自分自身を現実の中に位置づけて把握することができるのであり、そこから試行錯誤や改善の糸口が見え、自分の目指すべき方向がより鮮明になるのである。自分が現在何をすべきかわからず、ただ考えることに逃げることしかできないのは、経験を欠いた人生を送ってきたからである。

つぎは【模倣】。模倣というと創作に携わる人間には癪に障る言葉である。それは自身のオリジナリティを追求せず、既存のものの後追い、二番煎じに妥協するという意味合いで使われることが多い言葉だからだ。

しかし模倣というのは、表現を研究する上で重要なものだと思う。絵の描き方、上手いセリフの運び方、何でもいいのだが、実際手を動かして模倣してみることで、その表現がいかに洗練されたものであるかを知ることがある。こうした気づきは自分の頭の中だけでは決して得られないと思う。先ほど自分は知性にコンプレックスがあると言ったが、独創性に対してもコンプレックスがある。だからオリジナリティに異様なこだわりを見せるのだが、結局のところそれは低質なものに落ち着くことが多いように思う。

なぜなら自身への執着は、自己を見えなくするという問題があるからだ。自分自身であろうとすればするほど、自分はいっそう自分自身に好ましい情報だけを取り入れ、自身と相容れない情報を排除しようとする。そしてそのことに自分で気づけなくなる。また自分に都合の良い情報ばかりに囲まれていると、自分に何も問題がないように思えてくる。現状自分が数少ないコンテンツから親しみを覚え、その世界で完結しているような浅い表現をただ反復しているにすぎないということを、自身への執着から気づくことは難しい。自分の好ましくない存在と衝突したときにはじめて、その事実に気づくことができるように思う。

しかしこうした異質な存在との邂逅を、自身の劣等感を刺激する材料に用いる傾向が自分にはある。慢心は悪徳だと日頃から自分に強迫し続けているが、それがかえって自分を委縮させ、自身の殻の中にこもらせてしまう原因なのではないかと思う。そこで最後に【自尊】である。これまで自分は自尊心を持つということをしてこなかった。自尊心を持つと人は成長をやめ、壁を登ろうとせず現状の肯定に甘んじると思っていたからだ。そう思わせていたのもやはり劣等感である。自分は劣った人間であるから、慢心などもってのほかであり、自分をどこまでも追い込んで無理をさせる必要があった。

だがその結果自分は壊れたのである。自分がもっと早くから自分を受け入れてさえいれば、こうはならなかったはずである。壊れた先にあったものは、自分自身という確固とした砦ではなく、あらゆる価値に振り回されて自身を見失い、自尊の拠り所を求めて彷徨う亡霊である。

自分を否定する中には自分が芽生えず、自分以外の基準、自分以外の理想にその座を明け渡すことになる。それらの価値判断に振り回される人生は苦痛である。自分に主体がなく、つねに世間に流されて生きていくことになる。

自分を受け入れるということは生きる上で重要であるように思う。自分を自分の制御下に置くことが、後々自分の人生を再構築していく上で役に立つ。自分の現状を知ればひとまずそこから何をすべきかが分かる。自尊心があれば他人に付け込まれる隙を与えず、誰かに振り回される必要がなくなる。

経験、模倣、自尊。どれも自分が退けるにはあまりに惜しいものばかりだ。自分はこれから何かを学び、ここから何かを引き出そうと思う。少なくとも得られるものはあるだろう。