人生

やっていきましょう

突然の思い付きで過去に書いた小説を消した。消すのは当時の自分を否定することだと思いずっと消さないでいたが、そういえば去年の11月頃の心境の変化から、自分は過去に未練がなくなってしまったことを思い出した。それでようやく消す気になれた。

消した作品はどれも書きかけのもので、途中で自分が逃げ出したものだった。いずれも評価もコメントもゼロだったので消すことに躊躇いはなかった。問題は完結した小説で、評価が18ほどついていた作品だ。自分としては消しても構わないと思ったが、個人的にそこまで負担でもないので残すことにした(当時なりに頑張って書いた記憶があるからだろうか)。

消したあとは重荷が取れたような気持ちになった。自分は過去に縛られ続けていた。それは自分の意識の持ちようだけではなく、こうしたネットの上に投稿されたものにも言える。小説の他に自分を束縛するものはまだある。ゲームの掲示板、過去のブログ、過去の記事。いずれも消し去りたい。ただ、それは今でなくていいように思う。

ブログにしろ小説にしろ、昔の自分の文章を見て思ったことは、最初期は今よりもずっと調子に乗った文章を書いていて、中期は冗談交じりの自虐、そして後期はどこまでも自虐と絶望に満たされているということだ。

調子に乗っていた時期はとにかく文学的な言い回しを好んだり、自分の表現に自信を持っていたりなどどこか鼻につく文章だった。少し後になると、自分の失態を面白おかしく自虐しようという傾向がみられ、例えばブログでTOEIC800点届かなかったことを他人事のように茶化していた。しかし今思えば端から見てまったく面白みがなく、要するに自分が自虐によって痛みを緩和しようとしていたのだ。そんな傾向も2018年以降になると薄れ、もはや自虐では対処できないほどの絶望を表現するようになった。諦めの言葉を弱弱しく吐いている様は本当に見ていられなかった。

その後にはこのブログで書かれているように、価値不在の空白、機能への貪るような傾倒などがみられるようになるのだが、それはもはやかつての自分ではないのである。そしてこうした傾向もまた、今の自分とは違う自分だと思う。

今の自分はより安定した精神を持つことができている。挫折から完全には立ち直っていないが、不安とのつき合い方を学習した。感情も取り戻しつつある。過去の執着も薄れた。素の自分がそのまま文章として表れてくる。今は自分の書く文章に安心を抱いている。

思えば昔は自分と向き合うことをしてこなかった。背伸びをしたり自虐をしたりというのは、不安を動力に今の自分を否定して新たな自分になりたがるという変身願望であった。結局今も自分は定まっていないが、少なくとも自分という存在に正しく向き合おうという気にはなっている。

それが自分の文章に変化を生んでいる。例えば以前の自分は、精神の不安を拒絶しようとして文章を書いていた。しかし今は自分が面白いと思うから文章を書いている。この心境の差が文章にどのような影響を与えるのかは分からないが、自分が自分でいいと思えているのは大きな変化である。