人生

やっていきましょう

Apexで自分は頑なに初期設定にこだわっていた。設定次第で優位に立てるということに不当を感じていたからだが、どう考えても自分を不利にしているとしか思えない。

世界史の授業でヒッタイトの製鉄技術を習った時のことをよく覚えている。それまで主流だった青銅を打ち破るきっかけとなったのが鉄だ。鉄を用いたヒッタイトは軍事面で飛躍的な成長を遂げ、その流れに適応できなかった文明は歴史の闇へと消えていった。

自分の制限に対する頑固さは、未だにインターネットを扱おうとしない老人のそれと似ている。実利よりもこだわりや愛着を求める。自分は未だに7年前のノートパソコンを使っている。キーボードは家でホコリを被っていた更に古いもの、マウスも最近壊れるまでは古いものを使っていた。そしてその古さによる制約のためにストレスを抱え愚痴を吐く。

自分は修正可能な変数であるというシンプルな事実が見えていない。古いものは買い替えればよく、自分に足りない知識は補えばいい。そうやって自分に好ましい環境を自ら構築し維持するという発想が生まれないのは、自分はまったくの無力であるという先入観によるところが大きい。その無力感がくやしさを生み、しかしそのくやしさが無能の打開でなく、無能の忍耐という方向にぶつけてしまっている。つまり、現実が嫌ならば現実を変えればいいと思うのではなく、耐えられない現実を敢えて耐えることで自分の強さの証明とする方向に意地を張っている。

古い漫画で、自分を世界に合わせるか、世界を自分に合わせるかといったセリフがあったのを覚えている。自分は自分を世界に合わせるという発想以外を持っていなかった。自分は行動を何よりも恐れたが、忍耐は受け入れることができる人間だった。そうやって自分は一歩も動かず、変化のリスクも負うことなく、自尊心を維持する術を身に着けたのだった。しかしそれは大抵の場合不利にしかならない。

ゲームでいえば、適正レベルを大幅に上回るモンスター相手に、低レベルの状態で何度もぶつかっているのと等しい。そんなところで意地を張って傷だらけになるよりは、さっさと学習と経験を積んでレベルを上げればいいのだが、自分は再現性のあることに新奇はないと思ってしまっていて傷だらけになる方を選ぶ。それで失敗を何度も繰り返し、自尊心がボコボコにされて人生が狂い、簡単なアクションすら起こせなくなったということは言うまでもない。

発想を逆転するといい。世界は自分に合わせることができる。自分が環境を作り、自分にとって心地よい世界を生み出せる。それは世界全体ではなく、その中の僅かな一部、自分の身の回りに限定してもよい。大抵の場合それはモノの購入・換装という形で実現されるだろうが、それだけに限らず自分の手で生み出してもいい。

このマインドセットがあると、ユーザーが自由に設定できるモノの価値がなんとなく分かってくる。これまで自分は選択肢が多くなればなるほどどれを選んだらいいか分からなくなっていた。結局みんなの評価が高いものを買うというつまらない結果に終わるのだが、それは結局のところ自分の中に評価の軸を持っていないことに由来する。

たとえばコンビニに無数のお菓子がある。自分はその量にめまいがして、どのお菓子を選んだらいいかをウロウロしながら5分くらい考え込んでしまう(それはコンビニという回転の速い世界に反して奇妙に映る)。自分はここで何かを考えているようで何も考えていない。一度に雑多な評価軸を検討するために、頭がオーバーヒートして働かなくなるのである。

このとき例えば「甘いもの」「安いもの」「嫌いなものが入っていないもの」という評価軸を持っていたらどうなるのか。チップス類は除外、パーティ用のスナックは除外と焦点は狭くなり、検討すべき材料は少なくなる。すると自分が欲しいものがおのずと見えてくる。

自分は今ゲーミングPCが欲しい。しかしPCを買う基準が分からない。だからずっと買わないでいる。下手を打って酷いコンピュータをつかまされたらどうしようと考えたりする。だがこれも結局は何を評価の対象とするかを自分の中で明白にできていないことが問題である。

様々な条件がありそれらを設定できるということは、すべての設定を緻密に評価しなければならないということではない。それは単に自由度が高いということの保証にすぎない。自分が何を望み、何を求めているのかが分かれば、あとはただそれに必要なことをすればいいだけである。

これらは自分の選択を妨げていた要因を除去する上で有用な考え方だと思う。賢い人間は、どんどん自分に有利なフィールドを築き上げている。自分のようなノロマは未だに世界を自分にとって不利なものとして捉え、不利なフィールドで戦おうとしている。それを適応と呼んで無理に痩せ我慢をしている。果たしてそれが正解なのか。

自分は多くの人間が当然のようにやっている通り、自分が優位に立てるフィールドで戦うということを学ぶ必要がある。それができれば当然自分はもっと生きやすくなる。