人生

やっていきましょう

自分のゲームをよく見てみると、世間で評価されるような描写がほとんどないことに気づく。暴言を言い合ったり人を小馬鹿にするシーンが多く感情交流が乏しい。自分が何を好きかを語る存在が無く、あるのは否定、存在に対する憎しみだけである。

これを面白いと思えるのは陰湿な人間くらいだろう。自分は面白い作品のつもりで作っているが、客観的に見れば低俗な作品だと思う。自分の劣等感を価値観に対する不信を拒絶と暴力で解消しようとしているのだ。

自分は王道ストーリーや馴れ合いや恋愛や勇気、友情、努力といったものすべてに拒否反応がある。自分の創作意欲の源泉は徹底して冷笑であり、全てを否定する虚無主義から生まれる純粋な笑いを生み出すことである。純粋というのは、党派性や自己優位のための満足ではなく、自己を含め価値を否定することによってのみ保証される、ある種のフェアさに自覚的であるということだ。

その純粋な冷笑を、一般レベルに落とし込んで誰でも笑って楽しめるような作品にできないかと考えるわけである。自分が虚無主義に支配されるのではなく、虚無主義を表現の可能性のひとつとして自覚的に振り回し、他の要素との兼ね合いから生まれる皮肉を表現したい。それができれば世間に冷笑の面白さ、陰湿なインターネットオタクの悪意の楽しさが伝わるのである。

冷笑の純化という発想は海外の冷笑アニメの影響を受けている。シンプソンズをはじめとしてサウスパーク、リックアンドモーティにもその価値観が投影されている。こうした作品を日本の漫画やアニメ、ドラマでも求めているがなかなか見当たらない(ギャグ漫画日和、星のカービィにはその一端を感じるが)。

おそらく自分が毛嫌いしていて最近の作品を見ていないだけで、実際このような価値観を投影した作品はいくつかあるのだろう。とはいえこうした趣味の作品は視聴者受けが悪そうだとも思う。ニコニコ動画に上げられていた優れたブラックジョークが満載の作品のコメントを見たら、見ていて辛いという感想が思った以上に多かった。

魂の自傷慣れした自分には笑いの対象でも、多くの人にとってはそうではない。ブラックジョークとは本来(ChatGPTが言うように)誰かを傷つける社会的に不適切な笑いである。人は自分が思っている以上に(あるいは自分がかつてそうだったように)自分の価値観を拠り所にして生きている。それらに全面的な信頼を抱いていて、それを否定されると苦しさを覚える。ブラックジョークを使う際にはそのことを自覚しなければならない。

ところでブラックジョークを作るにはどうすればいいか。実際のところ自分はブラックジョークを自覚的に作ったことがない。作品を注目してみると、相手の言動や態度に対して茶化すような返しをしているだけで、あまり良いブラックジョークとは言えない。

優れた作品はブラックジョークを自明のものとして表現する。差別や偏見が市民の価値観に埋め込まれていて、当然のように振る舞うことがある(例えば人種差別が根付いていて、日常会話でさらりと無自覚な偏見が見え隠れするなど)。

これはブラックジョークに限らず言えることだが、作品に作者の直接的な意図を感じさせると途端につまらなくなる。一時期キャラクターに説教を代弁させる漫画が流行っていたが、作品として面白くなかった。説教がメインではなく、その世界を構成する登場人物のひとつの要素だったら面白くなったと思う(例えば世の中にメスを入れマナーの悪い人間に説教する人間が、反感を持った人間に惨殺されるところから始まる探偵モノなど)。