人生

やっていきましょう

252日目

今日から作業を開始する。数日前の目標をもう一度思い出す。

⑤夢の世界のマップをAsepriteで作る(王の城、城下町、魔王の城等、)。⑥イベントを作ってGB Studio上で実装する。⑦マップに即したBGMをピストンコラージュで作る。⑧ピストンコラージュで作った音源をmodファイルに加工する。⑨modファイルをGB Studioに導入し動作を確認する。

今日は⑤で終わるだろう。できるところまでやる。

マップの構成は(1)ほこら(2)城下町(王の城)(3)ダンジョンA(4)ダンジョンB(5)どうでもいい街(6)魔王の城(7)ワールドマップにする。ダンジョンAとダンジョンBで特殊アイテムを手に入れて、魔王の城を開くという感じだ。戦闘は作らない。イベントだけで終わる。魔王を倒すと証が手に入るので、そのまま外に出る。

 

251日目

忘れないうちに書く。自分の思考について。明日にはもう忘れているかもしれない。

自分は自分のことをよく考える人間だと認めている。しかし一般的に言われる通り、これは思考に時間を費やしたという事実を示すだけであって、思考能力そのものが優れていることを必ずしも示すわけではない。

自分の思考は、何か目的を達成するために優先順位をたてることも、自分の中に失われた動機を再燃することもできていない。何かを改善したという実績もない。ただ思考を言語化し、状況を整理することで安心しようとしているにすぎない。

これは謙遜ではない。自分の能力を真剣に見定めようとする人間は、自らの能力を低く見積もりやすいなどという与太話をしているのではない。自分の思考能力には致命的な欠陥があるということが言いたい。反復的な思考に甘んじているということだ。

思考は強化される。心に惹かれるものは反復し、そうでないものは忘却する。反復と忘却を繰り返すうちに思考の癖ができてくる。いつしか自分は、反復されたものしか見ないようになっている。

癖は連想しやすい。ある問題について考え始めたとき、見慣れた思考経路を辿ることがある。今まで見たことのない問題についても、経過や結論の付け方が似てくることがある(たとえば問題提起をしたあとに悲観的な印象を述べ、しかし問題についての具体的な言及を控え、最後にはある前向きな言葉によって文章を締めくくるといったもの)。

癖に流された方が自力で修正するよりも負担が少ない。だから自分が「何かを考えている」と思っているとき、今まで経過した思考をただ反復していることが多い。

いつしか反復に支配されている。以前どこかで考えた問題をふと思い出し、まったくの新発見であるように思いこむ。それをブログの記事に書いて、自分が以前と比べて前進していると過信する。はじめのうちは頭も回るが、途中から何を言いたかったのか分からなくなる。それで安易に連想しやすい方向に理路を繋げていく。

それらはすべて、以前自分がどこかで考えたことだ。はじめは何か新しいことを考えたつもりになっているが、最後の方になってみれば、実はただかつて結論付けた自分の考えを思い出しているにすぎない。

問題は反復された思考の癖を安易に信じてしまうということだ。ひとつの例を挙げると、最近の自分は自分の実力以上の問題には極力関わらないという結論を好んで下す。これは失敗から学びえたひとつの教訓だ。自分はこの考え方を基本的に妄信している。

だが本当にそうだろうか。2つの懸念がある。ひとつは自分の今の実力を適切に判断できているのかということ。もうひとつは自分が無理をしないことで挑戦が控えめになっているのではないかということ。この2つを妄信の中にあっては適切に評価することができない。

また妄信といっても積極的な妄信ではない。普段は思っていないが、ふと思いついたときにまあ確かにそうだろうなと思えてしまう、消極的な妄信である。自覚がない分、余計にたちが悪い。行動しないこと、控えめであること、挑戦しないこと、慎重であること、自己評価が低いこと、これらはもはや自分の思考の基本になっている。

このように、自分の中の反復から導き出される解法(解決というよりはむしろ安心を求めた言い訳)によって自分は「考えている」と思っている。決して、自分の発想の外にある思考を重視しない。反復的に考えたもの以外は存在しない。反復はそのまま強化され、歯止めが効かない。だから何も変わっていない。

自分の反復的な思考から逃れるためには、外部からの圧力を自分に引き入れることが重要だ。つまり、自分の頭では到底思いつかないようなことを常に学習し続けていく必要がある。思うにこれまでの自分はインプットというものを軽視しすぎていた。自分の分散的な認識を重視し、ある分野の体系を自分の中に取り入れることをしなかった。ある分野の知識を、自分で思いつかなかったことは癪だからといって拒んできた。

先日Besiegeというゲームをプレーした。自分は頑なにwikiを見ないと豪語し、自分の思いつきひとつで果敢に挑戦し、兵器を作るにも単純な図形を組み合わせるにとどまった。一方そんなことは気にしない知人のひとりは、有志の創った優れた機構modをデータとして保存し、リバースエンジニアリングすることで学習しようとしていた。またもうひとりの知人は動画を見て興味のあるものについてはとことん調べていた。しばらくして2人は複雑な機械を作ることに成功していた。自分だけが取り残されていることに気づき、途方に暮れていた。自分は自分の中に宿る独創性を過信していて、インプットを怠っていた。その結果は一目瞭然だった。

インプットの重要性は自分でも分かっているつもりだった。いくつかの作業では自分の思いつき以上に有用な方法論や知見を重視している。だがゲームとなると、どうしても本能的に求めているやり方を採用してしまう。おそらく意識しなければ、日常生活のいかなる点でもそう考えてしまうだろう。そしてその無意識は、自分が思っている以上に自分の生活と思考に満たされている。

自分は本来目的を達成するために真剣に努力する人間ではない。努力という言葉自体そもそも嫌いだった。とにかく自分は今あるこのままの自分を表現したい人間なのだと思った。それは自分という存在が無条件で肯定されたがっているということだろう。半端なアートの人間にはよくあることだ。表現を承認欲求を満たす手段にしているのだ。

この自尊心の欠乏状態が努力を怠らせ、インプットによる能力・思考の変化を妨げる。今の現状が肯定されたいという願望が、そのまま反復的な思考によって強化され、自分の自尊心は脆いまま肥大化し、自分はどこまでも強靭になれるという過信と、一触即発ですべてが総崩れするという不安を同時に抱えている。

とにかく学習の態度を見直す。インプットすることを自分の思考の基本に据える。自分はこれまでいくつかの分野で創作を行ってきた。ドット絵と音楽に関してはインプットの結果として、基本的な操作がある程度可能になった。この誰にでもできるような、しかし今までの自分には為し得なかった微細な成功体験を根拠に、自分はインプットすることを積極的に肯定していく。

GB StudioはネットとDiscordを使って情報収集を続けていく。Besiegeについてはwikiや動画を活用する。音楽については簡単なものでいいので曲の仕組みを学んでいく。その他の分野でも学習できるものは学習し、以前よりは進歩がみられるようにする。

幸いなことに、これらはすべて責任が発生しない、つまり失敗が認められる状況にある。そのため自分の中で学習したことを実践に生かすという一連の流れを自分に根付かせ、そこに自信を持たせられる契機になる。今日からこのことを頭から離さないようにしたい。

 

(この文章自体、かつて思いついた反復的なものであったということを書いてから気づいた。とはいえ反復自体に罪はなく、どの反復を自分に課すかということが重要であるように思う。この場合、反復に無自覚な自己を強化する反復を改善しようとすることは自分にとって都合の良い反復であるように思う。ただし盲信はしない)

250日目

自分のやり方について疑問が生じる。いくつかの点で努力はしているが、思っていたほどの成果が出ていない。

努力の量ではなく質の問題だと感じる。自分の中では努力をしているつもりになっていて実際に行動してはいるが、無駄が多く、目標もはっきりしていない。

ある人間が言っていたが、目標は数値化できて、期限がはっきりしていて、自分の現時点での実力次第で実現可能なものである必要がある。自分は期限も数値も、自分の実力に見合う問題かどうかも正確に見定めていない。

自分の行動に対する批判者は自分しかいない。誰かがうるさく言ってくれればいいが、誰もいってくれない。だから自分は自分に甘くなりやすい。「自分が頑張っている」という直感、感覚に基づいて判断を下しがちだ。

冷酷な事実を言うと、自分の偏見にかかわらず、実際に考えたこと、行動したことによって現実が作られる。だからどれほど頑張っているつもりでもテストで40点しか取れない場合もあれば、あまり頑張っているつもりがなくても80点を取れる場合もある。

自分の場合だと、新しいことに挑戦するという目標が、自分の中では虚無思想、厭世思想に負けないという力強さを与えてくれると思い込んでいるが、実際自分が着手しているものはそれほど難しくない、誰でもできるレベルの作業に他ならない。曲にしろゲームにしろ、少しネットを調べればわかることばかりで、何か自分が全力をもって取り組んだという感じがない。

自分が最も全力を出していたのは受験の頃で、次が中学の部活だった。その時の経験を冷静に見つめなおすと、当時は存在した行動に対する覚悟というものが今はなく、まあとりあえず何かできればそれで良し、と妥協している。あの頃は少なくとも行動に対する意味を信じられていたし、より高い成果を出す事にやりがいを感じていた。

覚悟や積極性の他にも、自分の改善を積極的に促す環境にあったということもまた重要だった。中学の部活は専門的な教員が指導方法を設定していた。現役受験の頃は受験で高得点を狙うという動機を共有するのがもはや当たり前であったし、浪人の頃は予備校に通ってやはり専門的なカリキュラムをこなすことに疑いはなかった。

つまり自分の実力や判断力以上の情報を持つ外部に自分を委ね、言われた通りに課題をこなすということを延々と繰り返していた。努力の方針を外注していたものの、それがうまくいったので自分の自信になった。

だが今は、自分の実力以上の情報を自分に与えることができない。調べればわかる範囲というのも、自分が日常的に考えていることから推測して思いつく程度のことでしかない。自分が今までの人生でまったく考えたことのない問題、たとえば大学で習う宇宙工学や物理の知識などは、自分の手にはまったく負えないものだ。

自分が今、自分の手によって何かをなさねばならぬというとき、自分の実力というものが残酷なまでに明らかにされる。自分は何もできないわけではないが、ほとんどの問題は自分で解決できないし、そもそも思いつきもしない。

繰り返すが、ここで問題にしたいのは、問題解決の精度だ。虚無の問題、自信の問題、動機を生み出すということの問題、これらは究極的には数値で目標設定できず、期限を設けられるものではない。自分の実力にも手に負えない。かといって外注することができるものでもない。だから実際、自分は見当違いな方向に努力しているだろうし、おそらく成果がすぐにでないのはそのためだろうと思う。

ところで今日、知人の紹介で面白いゲームを買った。「Besiege」という物理演算ゲームで、自分で機械を作って城を壊したり街を破壊したり、兵士を殺したりする。物理演算ということは、実際の物理学にほとんど基づいている。ある部分に力が集中しているときには力がかかる方に傾く。相手が使ってくる武器のダメージによって壊れやすい部分と壊れにくい部分がある。あるいは自分が砲弾を飛ばそうとする際、その衝撃で自分の機械が壊れる場合もある。

物理については全く知らない。どういう機械を作ればいいかもまったくわからない。自分はサンドボックスゲームの初心者がやりがちな、均等な立方体、あるいは単純な長方形をもって問題に対処しようとする。だが実際に動画を見れば、機能を十分に生かした優れた機械を作っている人がいる。

自分はこのゲームを触れて、改めて自分の認識力の無さに気づいた。自分は頑張っているつもりであっても、目の前の問題ひとつすら、明確なアプローチをもって応えられていない。自分がしてきた努力とは、自己肯定感を高めるための詭弁を捏造する過程であったという可能性を否定しきれない。いろんなことを頑張ってきたつもりだろうが、いろんなことを具体的な視点に落とし込まなかったゆえに、努力の方向性が分散してしまったようだ。

いちど初心に帰り、具体的に問題を処理するという方針を改めて自分に課す必要がある。今日はそのことを考えることに時間を使いたい。GB Studioの方は後日に回す。

 

 

 

 

 

249日目

朝から精神が不安定になり活動を中止した。そのまま夕方の17時まで寝込んだ。運動と風呂だけはこなした。少しだけ気分が軽くなった。

最近メンタルにくる出来事が続き、精神が安定しなかった。それでTwitterでネガティブなことを書き続けていた。悪いことだと思っている。

Twitterについては以前触れた。オンラインゲームで知り合った人間を立て続けにフォロー&フォロワーの関係に置いた。メンタルが健全なうちはよかったが、壊れていくにつれ苦しくなった。自分が前向きな情報を目にするのもつらかったが、自分が発している虚無的な言葉を、前向きに生きようと頑張っている人の目に映すのはもっとつらかった。

何人からかは愛想をつかされたと思う。FFの関係を切られたこともある。その度に自分の行いを責めている。自分の人生を、意味を、価値を肯定できれば・・・。

自分は今、自分の価値観を形成できないでいる。すべてに意味がないという絶望状態にある。だが完全にそうなっているわけではない。意味や価値に対して、僅かに期待がある。その僅かな期待を頼りに、自分の人生をどうにか肯定しようとしている。

それゆえ葛藤している。虚無が自分を覆い、もはや価値の勝利はあり得ないというところまで追い詰められていながら、それでもどこかで価値を信じたいと思っている。自分が良いと思ったもの、自分が作り出したもの、自分がやろうと思ったこと、どれもみな価値があると思いたい。その価値を他人に分かってもらえなくても、自分が良いと思えていたい。

そういう動機を、ごく僅かに与えてくれていたのが前向きな人たちだ。勉強を頑張っている人からは勉強のやる気を貰う。創作を頑張っている人からは創作のやる気を貰う。まったく関わることはないが、自分でも気づかないうちに生きることの励ましを与えてもらっている。

そういう彼らを自分は、自分の心を覆っている虚無思想で破壊している。決して直接言うことはないが、自己言及という形、自分に対する皮肉という形、絶望の吐露という形で彼らの目に映る。気分が良いはずがない。

こうした目線を最近取り戻しつつある。自分は自分の苦しみばかりを見ていて、他人の事情は見えていないのではないか。自分は世界一の不幸を背負っていて、他の人は皆苦労も絶望もすることなく毎日を生きていると思い込んではいないか。ひょっとしたら、自分が前向きだと思っている人間も、自分と同じように絶望を乗り越えて頑張ろうとしているのかもしれない。

虚無思想については確かにその妥当性を認めている。どこまでいっても価値を保証するものはない。価値の存在は自分がその意味を積極的に信奉するか、他人の価値に共鳴しなければたちまち消えてしまう。ただ実際、その存在があるものと仮定して社会や生活が回っているのだとしたら、むやみに否定的な言葉を発するのは害悪だと思う。

以前にも言ったが、たとえば劇を見て劇は所詮作り物であって、その作り物から生まれた感動も所詮は偽物から生まれた認知の錯誤、各人の感情の混乱状態にすぎないと言うことは一定の妥当性がある。ただ実際、その作り物の中に価値を見出すということが、その人が人生を生きる深い動機になる場合がある。

そのとき自分はどんなに目の前の劇が茶番に思えても、その茶番が茶番と分かっていながら欲している自分を皮肉ろうとして言葉を漏らしても、あるいは、その茶番を茶番としか思えない自分の苦悩を誰かに分かってほしくて叫んだとしても、結局その言葉を発してしまったら、劇を見ている人は不快に感じるだろう。

虚無思想は、目の前の価値が何ものも意味しないという事実に基づいて、映画館の中で感動的なシーンをぶち壊す罵倒を何度となく繰り返すことを拒む理由を奪う。しかし多くの人が主張している通り、虚無思想とアナーキーな考えは安易に直結しやすく、現状に築き上げた秩序を容易に破壊してしまう。

自分はそうまでしてすべてを壊したいわけではない。誰かに対して虚無思想を訴えかけ、他の人の価値観を否定するつもりはまったくない。ただ無意識のうちに、価値観を持っていたり、肯定している人に対して嫉妬しているのかもしれない。自分には自覚はないが、実際前向きな人間をタイムラインから外さないのはそういう理由があるからかもしれない。自分は未だに価値観を持つことに未練があり、それを欲している。にもかかわらず価値観を持てないといういらだちが、ネガティブな自己言及に拍車をかけている。

できるだけ自分はブログにそういう自己言及を押し込んでいる。それが今自分にできている最大限の努力だ。だが最近は不安定になってTwitterに吐いてしまった。それでまた迷惑をかけた。本当に申し訳ないと思う。

 

 

248日目

今日から作業を開始する。やることを整理すると、①夢の世界(?)に飛ぶアクションをGB Studioで作る。②夢の世界の入り口のデザインをAsepriteで作る。③夢の世界の入り口をGB Studioで実装する。④1つめの夢の世界である、雑なRPG風の世界と夢の世界の入り口を繋げる。⑤夢の世界のマップをAsepriteで作る(王の城、城下町、魔王の城等、)。⑥イベントを作ってGB Studio上で実装する。⑦マップに即したBGMをピストンコラージュで作る。⑧ピストンコラージュで作った音源をmodファイルに加工する。⑨modファイルをGB Studioに導入し動作を確認する。

今日は⑤の頭までできれば十分だと思う。明日にマップを大体完成させて、明後日にはイベントと音楽を完成させられればと思う。音楽が一番時間がかかりそうだが、とりあえず今日は⑤まで完成することを目標とする。

 

①夢の世界(?)に飛ぶアクションをGB Studioで作る。

実装する前に確認すべきことは、アクションの設定と日本語入力の動作確認だ。アクションの設定は現時点では行わない。現時点ではベッドに話しかけると選択肢が出て、はいを選んだら画面がフェードアウトし、そのまま入り口に飛ぶという簡単な仕様だ。

ここでアクションを後回しにするのは力を入れたいと考えているからだ。以前学習したことだが、力を入れたい部分にまず着手すると他の開発が後々面倒になる。力を入れ過ぎてそこで燃え尽きたケースが何度かある。したがってここではまず簡易的に済ませる。

日本語入力については少々手間がかかる。有志のものを用いてUIの日本語化を試みる。

 ファイルの中身を見てみると、公式サイトからダウンロードしたものと同じものが入っていた。システムを上書きしてアップデートするような形ではなかった。したがって今までのGB Studioでなく、新たなGB Studioを用いることになる。

データの移行は、以前のファイルをそのままこちらに持ってくれば済む話だ。だがひとつ懸念があった。今後のバージョンごとに何度も日本語対応版GB Studioをダウンロードしなおさなければならないのだろうか。GB Studio日本語テキスト対応版はVer.1.2.0から始まった。ここから日本語対応版のVer.1.2.0がつくられている。しかしVer.1.2.1になったとき、新たに日本語対応版Ver.1.2.1がアップロードされている。GB StudioがGB Studioの最新版がアップデートされるにつれ、同じようにまたダウンロードし直さなければならないのだろうか。

この懸念については2つの点で納得している。ひとつはそこまで頻繁にアップデートが来るわけではない。だから手動だとしても少々手間がかかるだけだ。ふたつ目は新たなGB Studioを開いても以前のファイルをそのまま開けた。だからファイルの移行に関しては手間がほとんどかからない。アップデートがどう連動するのかについては現時点でよくわかっていないが、とりあえず作業を進めていく上では問題ないように思う。よってこの問題は保留にする。

有志のサイトによると、開発中のプロジェクトはそもそも日本語が対応されていないので、専門のuiをアセットに導入する必要がある。以下のものがそれだ。

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見ての通り漢字を使うことはできない。またアルファベットは大文字だけが使えるようだ。この制約を意識する必要がある。とりあえず導入して動作を確認する。

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問題なく起動した。日本語対応はこれで解決とする。

GB Studioの方では分岐を作った。やすみますか?の後に「はい」か「いいえ」を選択肢として用意する。「はい」を選んだ場合、入り口に飛ぶようにする。

はじめてGB Studioで分岐を設定したが、ウディタとは少し勝手が違った。まず分岐がAとBの2つに限定されている。Aを選ぶと変数にTrueが与えられ、Bを選ぶとFalseが与えられる。それで選択肢のイベントは終わりだ。この後に別個のイベント「もし変数がTrueだったら」もしくは「もし変数がFalseだったら」を追加しなければならない。どちらを選んでも、自動的に「それ以外の場合」の設定ができるようになっている。

このあたりの操作が少し面倒だった。どちらかといえばウディタの条件というよりは、RPGツクールの「スイッチ」のON/OFFに似たものであるような印象を受ける(Switchではない)。条件のつけ方は理解したので次からは問題なくできるだろう。とりあえず①はこれで完成だ。

 

②夢の世界の入り口のデザインをAsepriteで作る。

夢の世界の入り口については以前作成した。スポットライトが上から照らしているような図だ(Mr.ビーンのOPか)。

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ここに新たに扉を追加する。最低3つだ。扉はテーマを反映させたい。1つははっきりしているが、残りの2つはまだはっきりしていない。とはいえいちいち戻るのも面倒なので今決めてしまう。2つに関してテーマは意識しない。

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完成した。雑な感じだが、最低限の形にはなっている。RPGの世界は一番上。残り2つはそのすぐ下にある両側の扉だ。一番右下の扉は出口になっている。左下は追加コンテンツを匂わせたら面白そうだから作った(デモンズソウルの北の巨人のような位置づけ)。

扉の位置にまだ不満がある(とくに上の両側の扉)。だがとりあえず今はこれで完成とする。修正はあとからでもできるだろう。

 

③夢の世界の入り口をGB Studioで実装する。

この背景をGB Studioに読み込んで動作を確認した。問題なく起動した。ついでに帰りの扉から自室に戻るイベントも作っておいた。③はこれで完成だ。

不都合な点がひとつある。ウディタのようにイベントの開始条件を自由に設定することができない。GB Studioではイベントの発生条件が2つしかない。アクターとトリガーだ。アクターは決定キー、もしくは触れることによってイベントが発動する。トリガーは触れることによってのみイベントが発動する。そしてアクターは何らかの画像を必要とし、ウディタのように透明化されることを前提としていない。

だからたとえば、ベッドの前で決定キーを押すと休むイベントが発生するといったようなイベントを作ることができない。先ほど自分はやり方が分からなかったのでイベントをトリガーで作った。しかしトリガーだと触れることでしか発動しない。夢の世界の扉も同様だ。扉の前で決定キーを押して入る仕様にしたいが、トリガーだとそれができない。

仕方ないので代案として透明なアクターを作成した。素材の中にあるアクターをひとつ選び全て消去して透明化したものを新たな素材として保存した。

これで一応は解決したが、まだ不都合がある。たとえばウディタではイベントの発生範囲がアクターのマスに限定されなかった。アクターは1*1でも、決定キーの発動条件が適応される範囲を5*5に拡張することもできた。GB Studioではそれができない。だからたとえば5*5の範囲でイベントを作ろうとしたら、アクターが25個必要になる。

だがこれは問題がある。1つのシーンでのアクターの最大許容量は10だ。それ以上は反応しない。だから何か思いつきでやろうと思ってもいくつかのことが制限される(一方トリガーについては自由だ。どれだけ範囲を広げてもいい)。

 

④1つめの夢の世界である、雑なRPG風の世界と夢の世界の入り口を繋げる。

1つめの世界と扉を繋げる。頭の働かない創作屋が考えそうな世界といえばドラクエが筆頭に挙げられる。だからドラクエを参考にする。

DQMではあるホームタウンから別の異世界に飛ぶとき、大抵はほこらに飛ぶというのが通例であったように思う。自分もそれを踏襲する。扉の先はほこらにつながっている。ほこらから出たらワールドマップにつながっている。

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完成した。ほこらの演出についてはよく考えなかった。適当にそれらしい雰囲気を出せればよかった。雑な線の引き方についてだが、完全には雑に引かない方がいいという理解に至った。本当に雑に描くと線がひどく曲がってしまう。そうなると見栄えが悪いばかりかタイルの管理が面倒になる。

注意して直線を引くつもりでいたほうがいい。そこではどうしてもブレてしまうが、それではじめて雑な「直線」になる。このことは他のことにも言えるだろう。今後の参考にしたい。

ほこらについては少しきれいにしすぎたような印象がある。次回以降はもう少し雑でいいように思う。とりあえず④はこれで完成だ。

 

今日はここまでにしたい。時間はまだあるが、今から運動をしなければならない。明日は⑤と⑥を完成させられればと思う。

247日目

習慣5日目。朝食を摂った。その他の習慣は問題なく維持できた。

精神の不調状態が続く。イライラすることが多い。些細なことで自己嫌悪する。

単純な問題点に気づく。習慣の維持ばかりに目がいって、最近は主な目的を持っていない。たとえばドット絵を描くこと、音楽を作ること、ゲームを作ることなどの目的がない。目的の不在が精神の不安を招くというのは随分前に認めたはずだった。そこを忘れていた。

この1年間を通じて自分に課してきた一貫した目的。自分を改善すること。ひとつ前進すること。それを最近まで放棄していた。もう一度活動を再開する。

とりあえず漠然とした目標はやめる。来週あたりでGB Studioのゲームを完成させる。

構想については単純なもので行く。自室でアクションを起こすことでロビーにアクセスする。ロビーは3~5つの世界と繋げる。これはゆめにっきやLisa The first、OFFの構造に類似している。とりあえず今は3つでいいだろう。

3つの世界の最深部でアイテムを入手する。すべて集めるとイベントが発生し、4つめの世界に行ける。それでエンディング。単純なものだ。

戦闘はない。有志のデータを借用すればできないことはないが、そこまで今やる気はない。とにかく創作の動機がほとんどないのではやく完成させたい。

明日やることを宣言する。まずは部屋でアクションを行うことで、ロビーにアクセスする仕組みをつくる。つぎに一つ目の世界をAsepriteを使ってできるところまで描く。その日はそれで終わるだろう。

1つ目の世界については古き良きRPGなんかどうだろうと思う。王が勇者に魔王を倒せと命じ、勇者はそれに応える。小規模なワールドマップに、3つほどのマップ。それと城。無事に魔王を倒したらアイテムが手に入る。

マップの大きさに注意したい。できるだけ所定のサイズで完結できるようにする。無理はしない。

方向性について興味深い演出を考えている。木や街や、魔王の城や道を丁寧に描いたものでなく、いわゆるペイントで雑に描いたようなものにしたい。幼稚園児の落書きのような世界にできればと思う。そのくらいなら1.2日で完成しそうだと予想する。