人生

やっていきましょう

119日目

そろそろ何か生産的なことを書こうと思いつつも、何を書こうとする気にもなれない。目的を急に失った。おそらくこうした状態がしばらく続くだろう。

こうした空虚な日々を記録をする価値があると思えないが、今ここで記録を止めてしまえば自分はもう次に記録をやろうとは思わないだろう。記録は自分の自尊心、向上心を維持するのに役立っている。今停滞期にあるからといって、記録を捨てるのはあまりに惜しい。長期的に見れば記録は自分の未来に対する投資になる。

最近自分の挫折をはっきり受け入れることができるようになった。今までは目を背けたい事実だったが、挫折が客観的な事実として認識できるようになった。これも記録のおかげだと思う。自分の挫折は目標を持たずに過度な努力をむやみにやり続けたことにある。それであっさり限界に達して挫折した。だから目標を定め努力を工夫すれば、まだ自分にもできることはあると思うようになった。

これは厳密に言えば正しくない。方向性を定めない過度な努力を自分に強いた根本的な自分の歪みが矯正されないことには、いくら目標を定め工夫をしても長くは持たないからだ。その上、根本的な歪みは容易に解消することはできない。だが自分は、それでもこのままではいけないと思っている。何かしなければと思っている。

これは本心に近い。自分は今の現状に満足できていない。何か欠落があり、それを埋め合わせなければならないと思っている。そうでなければ自分はいつまでも安心することができない。

この感覚が正しいかどうかは知らない。だが僅かにでもそう思っている限りはそう思わせておけばいいと思っている。そう思える時期というのはおそらく一生のうちに限られている。だから自分はそう思える内にやっておきたい。

 

 

118日目

今日は疲れていて何もできなかった。精神も不安定で気分が悪い。だから一日中寝込んでいた。

そういえば短期習慣をしていないことに気がついた。習慣づけられていた時には自分は前向きだったのを覚えている。短期習慣に限らず、toeicをしていた頃も前向きだった。

そろそろ習慣を再開しようかと思う。ただ今月は個人的な予定が立て込んでおり、やるなら来月となりそうだ。今月中に自分の目標を見つけて取り組みたいと思う。

117日目

記録をつけることに嫌悪感を覚える。自分の醜い部分、心の脆い部分を周囲に晒すことに精神的なストレスを感じる。自分が競争社会の敗者であり、自殺願望があり、あらゆることに価値が見いだせず、自己憐憫に浸るという情けない姿を、この記録では忠実に再現する。泣き言を言わず、ただひたすら努力し、改善点を洗い出し、不動の精神を獲得するという自らの理想に反して、この記録では自分の弱さに対して決して目を背けない。

自分は同情してもらいたいのだろうか。誰かに分かってもらいたいのだろうか。慰めがほしいのだろうか。助けを求めているのだろうか。おそらくそうだろう。だが、自分は決して、実際に誰かに助けを求めてはいけないと思っている。自分はかつてネットの知り合いに何度か精神的な助けを求めたことがある。その時自分は誰かが自分を助けてくれると思っていた。だが実際は、そうすることでむしろ自分は弱者であると見なされた。自分の精神の不安定さは悪口の種にされ、あいつはメンヘラであるというレッテルを張られた。自分は相手に対して誠実に向きあっていたからこそ、自分の苦しみを打ち明けたのだが、相手は所詮ネットだからという考えにあったようだ。

このことに失望はしたが、恨みはない。なぜなら彼らがそうすることは至極真っ当なことだからだ。彼らは現状の解決策をいくつか提案してくれたが、自分はそれに対してできない理由を並べるだけだった。そこに嫌悪を見出しても何ら不思議はないと思う。おそらく自分は同情してもらいたかったのだが、自分が誰かの不幸話に同情するかといえばそうはならないだろうし、自分も同じように解決策を提示するだけだろう。

男同士の場合、相手に同情を求めるというのは歓迎されるものではない。どちらかといえば競争で優劣を決めて盛り上がるという方が歓迎されるのではないか。スマブラをやっていてそう思う。互いに殴り合っている間は、相手が攻撃し、自分が攻撃する中で、互いが受け入れられていると感じる。同情を求める姿勢ではうまくいかなかったコミュニケーションがうまく成り立っていると感じる。

戦いの前には、同情を求める仕草というのは自分が弱者であるということをアピールすることに他ならないし、結果として相手の都合の良いようにされるということを認めることになる。こうした前提でネットの知り合いと関わるようになってから、自分が今まで他人に感じていた不当な悪意、自分の被害者意識みたいなものを感じる機会が減った気がする。自分の不幸を晒し同情さえ求めようとしなければ、ある程度正常な対応が返って来る。

だから自分は、少なくとも同情という点において誰かに頼ることはしなくなった。他人が与えてくれるのは、解決のヒントだけであり、解決できなかった自分に対する憐みではない。そのことを強く認識する必要がある。自分に同情できるのは自分しかいない。そしてまた、自分の弱さを真摯に受けとめ、常に改善策を与えてくれるのも自分しかいない。他人のアイデアが有用な場合も多いが、常に与えてくれるわけではない。

代わりにこうして記録の中で自分を慰めるに至った。記録は自分の弱点と脆さを明確に暴き出すが、決してそのことを馬鹿にはしない。満足のいく同情はもたらさないが、決して自分の努力を足蹴にすることはない。確かに記録は自分の弱点を暴きすぎる。だから見たくない現実を見なければならないことへの嫌悪感に苛まれることがある。しかし、記録を放棄したところで、それは目の前の見えなくなったというだけのことであり、問題は依然として残り続ける。問題を放置して取返しのつかなくなる前に、記録は警告してくれる。

現実を見続けるのはひどく苦痛なことだが、自分に課題を与え続けてくれるというのは良いことだ。だからもう少し記録は続けてみようと思う。

 

 

116日目

精神が安定している。昨日よりは気分が軽くなり、悲観的なことをあまり考えなくなった。活動を再開する。

今日はゲームの第4章の台詞作りを終わらせた。この台詞には手間取って数か月進展がなかったが、どうにか完成することができた。完璧といえるような展開ではないが、おおむね満足している。実際RPGにおいて台詞など誰も見ないのではないかと思うが、台詞というのは先日触れた通り、ストーリーを構成する重要な役割があり、看過できないものだった。自分がこのゲームの制作に費やしてきた時間は、ほとんどこの台詞の違和感、クサみを無くす作業だったといっていい。それほどまでして消そうとするのは、今までこれだけ時間をかけてきたのだから、ここで無駄にはしたくないという思いが強いからだと思う。こういうのをサンクコストというらしい。だがある程度割り切らなかった結果として、数年たっても完成しないという現状がある。

創作はある程度割り切って作る必要がある。計画段階で8割ほど完成図を想定しておき、せいぜい新たなアイデアは2割程度の余白にぶちこむこと。これが理想だ。何も考えず、ただの思いつきで、この計画をその都度訂正し、改善し、より壮大なプロジェクトに発展させていくのは危険だ。そういう思いつきは実現性という評価を考慮していない。自分はその失敗を経て、こうして未完成品の後始末をしているという具合だ。

だが一方で、初期の設計通りの制作にまったく依らない開発、というのは独特の面白さがあった。自分が成長するごとに物語もそれに応じて修正されていったからだ。つまり、作り手である自分自身にも、この物語がどうなるのか全く見当もつかないという楽しさがあった。これは職業作家としての創作では決して得られない感覚だ。なぜなら職業作家はある程度、予め敷かれた計画による予定調和を要求されるからだ。主人公が死ぬと分かっていて、死ぬまでの過程を描き続けなければならない。そういうオチが分かっている作業というのは、どこか淡々としている。

とはいえ、やはり完成させるということを重視するならば、計画的でなければならない。正直自分自身も、今作っている作品に飽きてきた。これ以上拡張する気にはならない。だからある時期から作品の完成だけを考えるようになった。今回最大の難点である第四章の台詞が完成したので、もうあとは簡単だろうという思いがある。それでもまだ難しい点、たとえば第三章のラスト等があるため、気を抜くことができない。それにゲームの醍醐味ともいえる、敵の戦闘力、経験値の設定、キャラクターの技、スキルの設定がほとんどできていない。こちらも無視できない。

 

 

 

115日目

気分が軽くなった。活動を再開しようと思う。今日は創作上のキャラクターの台詞を修正する。

台詞は自分が最も難しいと感じる部分のひとつだ。違和感のない表現というものがなかなか思いつかない。それで何度も修正してはこれは違うと思い悩み消して書き直す。それで一向に進まない。

台詞はその人間が何に価値を置いているかで決まってくると思う。熱血漢はやる気、成功、名誉、国王は国家の治安維持、姫は白馬の王子、魔法使いは学の探究心といった具合だ。内向的か外交的かでも決まる。破壊的か調和的かでも決まってくる。

このようにキャラクターの性格設定をいじることでキャラクターの台詞が生まれてくる。こうした調整に腐心することに喜びを覚える作家もいるが、自分には全くそういった動機がない。いや、むしろそうすることに抵抗がある。なぜなら自分は、性格の調整というものがそう簡単にいくものではないということを知っているからだ。善人にも善悪の二面性があり、悪人にも善悪の二面性がある。どちらに偏っているかという話であって、どちらが正しいと一概には言えない。こういう複雑な事情があり、自分は描くべきキャラクターの理想像というものが全く見えてこない。善人が善の偏りが強いからといって本当に悪の誘惑に悩まないことはないのか?悪人が悪の偏りが強いからといって、善に惹かれることはないのだろうか。こうした揺らぎと葛藤が誰しもあるなら、性格の偏りというのは微細なものでしかない。このように考えてしまって、自分の作るキャラクターはみんな優柔不断で悩める存在になってしまうというわけだ。

こうした描き方は見栄えがしないというのは分かっている。様々な人間の様々な価値観を並存させて、その中で自分(の支持するキャラクター)はどうするかというのを上手く描くのが作家だ。だが自分は善悪の二面性、破壊と調和の二面性、内向と外向の二面性、保守と革新の二面性、支配と被支配の二面性といったものが誰しも備わっており、物事を簡単に割り切って考えることができないと考えてしまう。自分にとって性格は、二面性のもたらす混迷以外の何ものでもない。

例えば国王が国の治安を守るために犯罪者を処刑することにした。しかし犯罪者は諸外国の法律では処刑に当たらない微罪であると主張した。この時国王は罪を撤回すべきだろうか。おそらくしないだろう。しかし諸外国で長年暮らしてきた犯罪者はこの判決に不満を覚えている。一方犯罪者の部下はリーダーが拐われたことに憤慨し、諸外国の仲間に指示を与え他国の傭兵を総動員し国境前に集結させた。ここで国王が罪を撤回し犯罪者を解放するなら引き上げても良いという取引を持ち出した。ここで国王は主張を撤回すべきだろうか。ここで要求に従えば国は戦争の危機を回避できる。しかし犯罪者の要求に屈したという前例を作ることになり、国の正当性は危ぶまれ、別の犯罪組織に同様の要求を突きつけられることになるだろう。だがここで要求を退ければ国境に集結した傭兵が国に侵入し、国は壊滅するだろう。街は荒らされ、民は死に、この国の文化は跡形もなく破壊されるだろう。

この時国王の価値観は揺るがされる。自分の価値観や判断が常に正しい訳ではないということを気づかされる。為政者の正当性は「基本的に間違うことがない」という不安定な前提の上に成り立っている。この時国王は国を守るために立ち上がるべきだ、と言ったり、国の安全を優先しよう、と手放しに言うことができるのか。ましてひとつの決断がその後の運命を大きく変えてしまう場合なら。

この選択に答えはない。だがこうした選択に迷わない人間はそういない。この時どうするか、というのが個々の性格の反映である。ある者は敗色濃厚な戦いでも悪と戦うというだろうし、ある者は民を救うために犯罪者に屈するだろう。ある者は答えのない判断に対する重圧に耐えかねコインで決めるだろうし、ある者は判断を放棄して自分だけ逃げるだろう。

優れた小説家なら、これらの個々の選択を選ぶような人間たちを配置して、その行く末を見守るだろう。だが自分は、自分ならどうするかという目線で考えてしまう。自分はどうしようもできないと結論づける。自分は終始迷い続け、結局答えがでないので誰かに決めてもらうか、決断することができないと答えるだろう。そしてその目線を、主人公に限らず、あらゆるキャラクターに当てはめてしまう。だからそういうような人間、究極の選択に対して尻込みするような人間ばかりを物語に配置してしまう。そういうわけで、自分の作品は悩んで悩んで、本心に従わない選択を妥協で選んで、なぜかたまたま上手くいき、後からあれで良かったんだと思って終わる、といったものが多い。

創作においてこれほど見栄えのしないものはない。理想のひとつでも敷いてご都合主義の話を書いた方がまだ需要がある。しかし自分には理想がない。自分の頭には価値の混迷だけがある。

この価値の混迷を描こうとすれば、物語は主軸を失い、混沌の状態に陥り、自分が何を伝えたかったか、何をしたかったかを忘れ、主人公は迷走し、仲間は発狂し、悪人は善を主張し、善人は悪を主張し、コミカルな漫才とシリアスな茶番が錯綜し、それでも物語はベルトコンベアに乗せられるが如く進行し、ラスボスというお約束が現れ、価値の混迷を掻っ攫って勇者に目的を思い出させ、最後には混迷を収束させた気分にさせ、満足していただく形でご退場いただき、価値の混迷という本質から目を逸らさせてエンディングを迎える。

これでいいのかと思っても、ほかにどうしようもない。創作という茶番に自分はもううんざりしている。混迷しかないという前提からはいかなる理想も生まれない。自分には心からの理想を描くことができない。自分にとってそれはある種の狂気、もしくはただの陶酔に見えてしまう。

 

 

 

 

 

 

114日目

気分がどん底に落ちた。今日は何も考えられない。何も書けない。

すべてが終わっている。希望が何も無い。苦痛だけが続いている。

スマブラをたまにやる。一瞬気が和らぐ。勝つと楽しくなり負けると悔しい。オンライン対戦が盛り上がる。ひとつの避難口。

散歩をしながら思ったこと。価値観の喪失は喪失したという事実でしかない。喪失して心臓が止まるわけではない。脳は動いている。精神が折れて尚人生は続く。

自殺はしない。