人生

やっていきましょう

670日目

ランパートの増幅バリケードは設置する場所をよく考えて展開する必要がある。そうでないとかえって味方を不利な状況に追いやってしてしまう。

バリケードの設置についていくつか反省したことがある。まず第一に味方は必ずしもバリケードを必要としていないということだ。バリケードは基本的にその場に留まることを前提としており、素早く移動したいプレイヤーの行動を制限してしまう。

自分はこれまで味方の分も考えてバリケードを張っていたが、そうすべきなのは戦闘が開始している時や安全地帯の優位なポジションを防衛している時であり、展開の読めない状況や移動中などは必要と感じた時のみ自分の周りに限定して展開し、そうでない場合は基本的にバリケードを出さない方が良いと考えるようになった。野良戦では仲間の意思や要求がまったくわからないので、出来るだけ相手の邪魔をせず、自分の状況を優位にするためにアビリティを使う必要があると思った。

とはいえバリケードを控えすぎることもないということもまた意識する必要がある。バリケードを展開することで敵に位置を特定されることを懸念しずっと何も出さなかった試合があるが、これではランパートは何の役にも立っていない。

このゲームでは隠れる、回避するということはやむを得ない場合を除きほとんど意味を成さない(ブラッドハウンドやクリプトがいれば簡単に位置を特定されてしまう)。

不利な状況やポジション(野外の平地で複数の射線が一斉に通る場合など)であれば出来るだけフォーカスされないことが重要になるが、五分五分や優位な状況にある場合は、特に理由がない限り積極的に設置していった方がいい。先手を打つことが状況の優位に繋がるからだ。

ここで自分は味方の顔色を伺う必要はない。自分が根拠を持っている限りにおいては積極的に設置すべきだ。なぜなら野良において受け身であるということは与えられない指示をただ待っているという状態に等しいからだ。これがピンなら指示を得ても良いだろうが、アビリティの指示を与えるピンは存在しない。VCも自分は切っている。結局は自分が考えてチームに貢献する必要がある。

 

 

669日目

作業を行っている時に何かにつけて工程や進捗を振り返るようになった。自分が達成しようとしている目標がそもそもどういうものであるか、それがどこまで進んだかということを、ブログや文章に書き起こすことなく、頭の中で処理する努力をしている。

こうした全体像を記憶から引き出し現状と照合させるという作業が自分は昔から苦手である。自分の場合、記憶というものが常に曖昧で、物事のはっきりとした関係を瞬時に素早く想起することができない。例えば自分は暗算がまったくできない。簡単な四則演算でさえ、頭の中で考えようとするとすぐに関係が分からなくなり混乱してしまう。

なぜだろうか。思うに自分は自分の頭の中に吟味不十分な情報を多く詰め込み過ぎており、意識の焦点が定まっていないのだろう。目の前の問題のことだけを考えなければならない時に、まったく別の問題について考えてしまうようだ。

その一因のひとつが記憶力の無さにある。問題の全体像やプロセスが頭の中に記憶されていないために、その都度想起される断片的なイメージに意識の方向が左右されてしまう。

問題を前にしては、自分は何をしようとしていて、それはどうすれば達成可能であり、自分は今どの程度までそれを成し遂げたか、ということだけを考える必要がある。

ただしこれは別の空想を一旦中断して1からじっくり考えようとするのでは遅いのである。これらを反射的に素早く行う必要がある。なぜなら自分のひとつの問題に対する集中力と記憶力には限度があるからだ。

例えば暗算でいうと、3+2は3つのものと2つのものをひとつの列に合わせて並べた時に5つとして数えられるから5である、と文章にして理解して答えるのでは遅いのである。3+2と見た瞬間、上記の関係を文章化するよりも速く計算して5と答えられなければならない。計算が複雑になるにつれ、それらの関係を文章として理解するには膨大な時間がかかるようになる。それでは記憶と集中力が持たず混乱する。

記憶は自分にとって一層重要である。特に素早い判断が求められるときに、いちいち文献から参照したり1から考えていたのでは判断が遅れてしまう。まさに今、この瞬間にこの情報が必要だというときに、適切な判断を取り出して対処するためには、自分がそのやり方を頭で記憶している必要がある。

ただしそれは暗記である必要はない。暗記とはある特定のパターンをそっくりそのまま記憶するということだが、そのパターンが問題によっては常に再現可能であるとは限らず、またなぜそのような関係にあるのかを十分理解せずに解決できてしまうため応用が効きにくい。その情報があらゆる状況下での"必要に応じて"頭の中からいつでも的確に引き出せるということが重要なのであり、一辺倒な暗記に頼るべきではない。

668日目

自分がここまでFPSに人生を狂わされるとは思っていなかった。ここ半年間の自分の関心はapexの勝敗という問題に支配されており、そのことを前にしては自分の中の不安や葛藤、アイデンティティの問題、将来のことや過去のこと、無意味や不条理の問題などは、すべて本当にどうでもよくなってくる。記録をつけることやゲームを作らなければならないことなども、このまましなくても良いとさえ思えてきている。

これは自分にとって良いことなのだろうか。確かに以前より精神は安定している。不安に陥ることは滅多にない。だが自分はこうあることを望んでいたわけではない。不安を取り除こうとして、たまたまこのような結果になっているだけである。

今はそれでいいのかもしれないが、今後のことを考えれば、精神の安定のために膨大な時間をゲームに費やすことは割に合わないということがわかるはずだ。なぜならゲームへの没入は現実への忘却であり、問題解決の放棄に等しいからだ。

もう自分は最低限の精神の安定を得ているのであり、これ以上無闇に心の安定を与える必要はない。自分はこの安定を基盤に、自分の人生に対して挑戦していく必要がある。今はそういう時期だと思う。

667日目

今日は公園のランニングコースを6kmほど走った。序盤は勢いよくスピードを出していたが、中盤にもなると息切れを起こし、結局そこから歩いてしまった。

以前は体力が尽きるまで走っていたが、今では疲れを感じたらすぐに歩いてしまう。体力が落ちただけかもしれないが、個人的には無理を通さなくなったということを考えている。

体力が限界に近づいたときに、無理をしないという判断が最近は素早くできるようになっている。危機的状態に対して反射的に撤退の判断を下し、限界に至る前に休息を挟む。

この判断を常にできるよう心がける必要がある。後先考えず体力を浪費するのはあまり賢くない。目の前の問題だけでなく長期的な視野を持って何かを行動するためには、何事も限界まで一気に力を出そうとするのではなく、適度に力を抜いて問題に長期的に取り組むということを考える必要がある。