人生

やっていく

集団内に適応するために仮想的に構築した人格がある。自分の本性を見せず、周りに害を与えずにいられるような人格。それをもって自分は集団の中に溶け込み居場所を得る。

この人格があまりにつまらない。敬語、差し障りのない話題、そして相槌だけを打つ。これでは流石にと思い意識して自分の意見を言うようにはなってきているが、それでも何も押し付けず、感情的にならず、会話の主体を常に相手に委ねている。

退屈である。それを実感したのは同じことをやっている人を見た時だ。その人は周りのことを考えず好き勝手暴れるような人間だったが、周りから注意され続けたことで萎縮し、結果自分と似たような反応を示した。

その人に話しかけようとした時に分かった。この人は自分の話題に対していずれも差し障りのない返答をする。そのため人格や好みが見えてこない。結果何の話題をして欲しいのか、相手が何をしたがっているのか分からない。分からないからこちら側があれこれ考える。次第にそこまでこちらが苦労して相手と話したいわけではないことに気がつく(あるいは向こうも関心がないのかもしれないと思う)。それで話すことがなくなる。

その人は結局気分屋なのかまたいつもの調子に戻ったが、自分はこれと同じことを相手にしていたのだと気づいた。

もっと自分を出せば良い。その方が相手も面白いと思う。自分が培ってきた人格の延長に自分らしさを出していく。自分の言葉で自分の考えを伝える。差し障りのない話題ばかりでなく、相手をよく見た上で踏み込んだ話題も恐れず行う。これは賭けだ。