人生

やっていきましょう

対人関係のストレスに耐性がなくなってきている。これは本当に問題のあることで、不快を感じた人間には安易に(どこまでも)軽蔑するようになっている。こうした感情の無自覚な肯定は自身を狭量にするしものの見方を偏らせる。

自分が最もストレスを感じる人種というのは人の話を聞かない人間だ。コミュニケーションを成立させようという気がなく、常に一方的な情報のやり取りになる。これにも様々いて、自分の注意や関心だけをただ話し続ける人間、不注意からそもそも話を聞いていない人間、相手の話をそのまま受け止められない不誠実な人間、そもそも話の理解力がない人間などがいる。

こちらの努力に対して、相手は伝えようとも、受け止めようともする努力をしていない。それだけならまだ許せるが、そのことを当然に思い相手にかけている負担に無自覚であるというのは我慢ならない。そんな人間が自分の周りには意外と多く、自分の要求する最低限のコミュニケーションとは全然当たり前のことではなかったのだと気づかされる。

愚痴はここまでにして、こうした不満を抱く自分の何が問題かを考えていく。確かにこれらの原因は相手にあると言っていい。自分の伝達力・咀嚼力、欠けた情報から背景を推測する能力が完璧であるとはいえないが、少なくとも互いの理解を調整しようとしていないのは常に他者の方だ(もし相手にその意図があれば自分は執念深く何時間も対話することができる)。だがそのことに感情的になっていて物事の見方が偏ってしまっていることが問題だ。

例えばある知り合いは人の話を聞かずに自分のことばかりを長々と話す。相手のレスポンスを無視してどんどん別の話題を広げる。初めは許せていたが、ずっとこの調子なのでイライラしてくる。この時自分が思ったのはこの人間には何を言っても無駄ということだ。どうせ人の話を聞かないし注意力がない。理解力もなければ判断力もない。価値観もおかしい。そして最終的に出した結論は、この人間はまったくの異常者で正常な認識力を持っていないということだ。

だがこの時の自分は、自身の発想が飛躍しているということに気づいていない。注意力がなく、理解力がなく、判断力がなく、人格もおかしいというのは、自分がこれまでの人生で出会ってきた「人の話を聞かない」人間たちの特徴だ。つまりこれらを不快な感情に任せて連想しているだけにすぎず、目の前の人間の何が問題かを正しく見られていない。少なくともこの人間には一定の理解力も判断力もある。人格が変わっているのは認めるがそれは本件と何も関係がない。要は不注意が目立つというだけの話だが、不快だという感情に任せるとこれだけ的外れな結論を導きやすくなる。

会話の不注意がこの人間の問題であったのに、いつのまにか理解の欠落という問題にすり替わっている。そういう色眼鏡でこの人間に対面したとき、この人は方々で話を聞いていないだろうからどうせ何もわかっていないだろうと思いがちになる。だがある時話した内容のことでその人の理解が正しく、自分の理解が正しくなかったことがあった。その人が別の人から教えられたと言っていたのを、自分は本当に正しいのかと疑ってしまっていた(というかどうせ間違いだろうと決めつけていた)。後から確認するとそれが妥当な意見であったことが分かった。その時初めて自分が偏った見方をしていることに気づいた。もし自分が感情に支配されていて、この人の言うことが何でも間違っていると思い込んでいたなら、自分はこの過ちに気づけなかっただろう。

不快の中にありながらも問題を正しくみつめようとする姿勢が大事だ。特にイラついている時は自分が咄嗟に感じたことについて受け止めつつも、その印象が本当に正しい判断を導いているのかを一度冷静になって考えたほうがいい。

今回は2つの思い込みがあった。まず人の話を聞かない人間は皆同じであるということ。話を聞かない人間といっても千差万別いる。それぞれに固有の性質、傾向、動機がある。先に挙げた例だけでも、それぞれの特徴を個別に持つ人もいれば、いくつか持つ人もいる。まったく別の理由から話を聞かない人もいるだろう。感情的になるとそれらを同じひとつの特徴でまとめがちになるが、それは誤りだと認める必要がある。

もうひとつは不注意なのだから何事も話を聞き漏らすということだ。この人間に相手と関心を共有するという視点が欠落しておりこちらの話に注意が向けられていないということは事実だが、これもまたすべてがそうであるとは限らない。この人が知り合いから聞いたという話については、少なくともこの人間に個人的な関心があることでちゃんと聞くことができていた。その事実を評価すべきである。事実に即して言えば、自分の話したいことだけは話して相手の話は聞かないことも多いが、自分の関心事については耳を傾けるし内容を記憶できる(こともある)。

こうした先入観を防ぐことは難しいが、抱いたことを自覚してそれが正しい判断かどうかを確認することはできる。不快になった時は常にこのことを忘れないようにしたい。

いつもの話になるが、相手にイラつくのは期待してしまっているからだ。自分はおそらく期待を裏切られた時に不快を感じている。だったら初めから話は通じないものと思っておけば良い。とはいえそこに開き直って不完全なコミュニケーションに不完全な対応をしようとするのではなく、相手に情報を伝え自分が理解しようとする姿勢は最低限貫き通す。そこで伝わらなければその人が悪いと諦めればいいし、伝わればこれ以上のことはない。

それからどうにもならない相手に対して無理をしない。何度も説得を試みるのは自分にその自負があるからだろうが、通じない相手というのは本当に通じないので時間の無駄でしかない。繰り返すがこれまで通り誠実な姿勢は貫く一方、深入りはしないというのが自分を守る上でも大事なことだろう。