人生

やっていきましょう

誤魔化しが上手くなったのか、自分が物事を考えなくなったのか、最近の自分は現実について考えなくなった。自分の人生をより良いものにするために具体的な行動を取るということがなくなり、今はほとんど自分の生み出した空想の世界と向き合って過ごしている。

最近の自分は、この内面世界をどう拡張し深めていくかということ以外に関心がない。これは作り手としてはある種の理想的な境地であるかもしれないが、その一方で危機感も抱いている。

現実で渡り歩くということが不可能になってきている。本来なら現実世界で生きていくために必要な情報を吸収していかなければならないのに、自分はもはやそれすらしない。現実にありながら現実に存在していない。かつて自分が最も恐れていた事態である。

自分に何が起きているのか。まず最近の社会の話題についていけない。細かいことを知ろうとしない。現実で何が起きているかを深く考えられない。すべてが遠くの出来事のように感じる。

次に人と話さない。話が合わず聞くだけになる。次第にそれにも飽きてくる。 

そして見聞きした情報を、現実にではなく空想に資するものとして利用し始める。こういう演出ができる、こんな題材があるということばかりを考える。

段々と自分の中で空想が現実に置き換わっていくのが分かる。曖昧な感覚がどこまでも続いている。いよいよ自分も危ないのではないか。

 

新しいボスをこれから作る。ギミックは自分の技術力で作れる程度の単純なものにする。

マップは少し広めの野外、悪天候の中迫り来る黒い影の群れがボスになる。この影は直接ダメージを与えられず、触れると体力が削られる。

影は数秒ごとに増え、最終的に5体程度になる。最大まで達したらそれ以上増えない。ただし5体同時に攻撃されたら一瞬で即死する程度のダメージになる。

ボスを倒すために特殊な手段を取る必要がある。上手くいくと影は消え、ボスに一定ダメージが入る。これを数回繰り返せばボスを倒せる。

要するに、迫り来る影から逃げながら特殊な手段を講じるところにボスとの駆け引きがある。あまりに影の攻撃が理不尽なら対処しきないし、簡単に避けられるならゲームとしては面白くない。序盤のボスということも考慮に入れて適当にやっていては勝てず、頑張れば勝てるくらいの難易度を目指したい。

 

 

 

しばらく記事を書き忘れていた。書いていない日が続いたのでその分を取り戻す。

自分はしばしば記録を義務を消化するときのような心持ちで取り組んでいる。1日300字以上のノルマは今でも意識してしまう。しかし本来の目的からすれば、書くことは自分の考えと向き合い、整理し、それらを自分に吸収する数少ない機会である。

ここ最近、外部のことについて考えすぎていた。自分はどう考えるか、どう感じたかを受け止めることができていなかった。それを今日からやる。

改めてこのブログの位置づけを確認する。ここには何を書いてもいい。その日思いついたこと、少し考えたこと、深堀したいことなどをまとめていく。成果は求めないが、できればここに書いたことで自分の中に変化が起こればいいと思う。

 

あれから創作に行き詰った。何を作ればいいか分からなくなっている。

分岐Aの時には目指すべき方向性が明確に理解できていた。分岐Bも当然そのつもりでいたが、どうにも面白くなりそうな気配がない。

おそらく分岐Bの笑いに自分が慣れてしまったのだろう。今まで通りにやっていてはダメで、何か彼らのセリフに新しい要素を加える必要がある。

分岐B自体は画期的なものだと考えている。新しいシステムを導入し、ストーリーも奇抜でありながら筋の通ったものができている。問題はキャラクターのやり取りで、使い古されたパターンを何度も繰り返しているような印象を与えてしまう。新しい演出方法/対象を見出さなければならない。

また冷笑ピエロのキャラクター像が薄れてきているのが問題に感じる。今までは露悪を彼だけに担わせておけばよかったが、今では複数のキャラが固有の冷笑を見せている。こうした状況の中でこのキャラクターを再び洗練させるにはどうすればいいか。その答えを見出すことができれば話は再び面白くなるだろうと思う。

考えてみれば自分で自分の作品をつまらないかもしれないと悩む意味はない。自分の作品は多くの人にとってつまらないかもしれないが、それはあくまで他人の意見である。

この分別が重要だと思う。第三者が作品に触れてどう思い何を感じたのかは、自分のそれとは一致しない。彼らの意見は彼らのものだ。しかし自分は、それらを自分の意のままに従わせようとしている。つまり自分の作品に抱く他者の感想は、自分の歓迎する評価や着眼点でなければ認めないということである。

これが作り手としていかに傲慢で的外れな態度であるかは言葉にすれば理解できるが、いざ不安に駆られると冷静な判断を下せなくなる。ネットではこうした妄想に振り回されている主に若い作家をよく見かけるが、自分も彼らと同類であると思う。

もう少し深く掘り下げてみる。自分は自分が生み出したものを他人がつまらないと感じるのを恐れている。もし彼らがそう感じたら、それが作品のすべての価値になると思い込んでいる。

この恐れ、他人がこうであるかもしれないという思い込みがいつしか実体を伴った真実、すなわち相手はこう思っているに違いないという確信に変わる。

馬鹿げている。自分の劣等感が映し出した妄想に作品の価値を委ねている。自分は自分の納得のために創作すべきであって、存在しない悪意に対する申し開きをするために作品を作るわけではない。

自分がゲームの面白さを追求し、仮説を立てて形にしては修正し、自らの根拠をつぶさに検証する限り、存在しない他者からの批判に怯える必要はない。そうではなく、自らの根拠や仮説に対してどのような課題があり改善点があるかを考えた方がいい。

ゲームでは狂気ゲージというものを追加する。これはプレイヤーのHPが尽きたり、敵の技やフィールド効果を受けることによって蓄積し、閾値まで達するとプレイヤーのレベルが1に戻りその間に覚えたスキルをすべて忘れるという仕組みだ。

つまりプレイヤーの死自体は軽いものだが、このゲージの蓄積をどうにか回避し減少させることが重要になる。フィールドでは死にやすいためにこのゲージが蓄積しやすい。ずっとフィールドにいると狂気ゲージがすぐに貯まる。町にたどり着くと医者がいてゲージを減少させることができる。ただし全回復は都市部のみ有効で、小村では最低限の処置しか受けられないようにしたい。この辺りをどうするかはまた後日考える。

もし仮にゲージが最大まで達したとき、高レベル帯のフィールドに居たら詰むと思われるが、初期化されるのは主人公だけで仲間のスキルやお金は継続して維持される。これらを駆使することで思った以上の損害は出ないようにするつもりでいる。例えばワープスキルを手に入れていたらすぐに低いレベルの狩場に戻ることもできる。あるいは失われる前の保存されたレベルを読み込むアイテムを作ってもいいかもしれない。仮に徒歩で戻ることになったとしても、プレイヤーはレベル1の時からダッシュを覚えているので、スタミナは少ないが最低限敵から逃れることができる。ゲージを回復させるスキルも考えておく。

今のところ全貌はまだ見えていないが、狂気ゲージを取り巻く駆け引きをうまくデザインできればゲームとして面白くなると思う。そこに焦点を充てて今後は開発を行っていきたい。

 

 

何も考えずにストーリーを作っているとどんどん話が膨張する。そうなるといつになっても完成しない。これをやめる。

ストーリーをできるだけコンパクトにする。省けるところは省く。作り込みすぎない。かといって省きすぎてもいけない。中身が薄くなる。

今日は町と町の間の敵が湧くフィールドをどうするか考えた。端的に言えば1つのマップで済む。だが町と町の間の距離のバランスを考えた時、大体3つがいいところだと思う。

マップ①とマップ②は通常のルートにする。マップ③はやや強めの敵を置いておき、初めの内は入ると危険だが、レベルが上がって通用するようになるといい狩場になる。宝箱を置いても良いかもしれない。

マップ②の先に新たな町を作った。本来は加えるつもりがなかったが、ストーリーの進行上どうしても作る必要があった。

町の概念について自分のなかでひとつのイメージがある。とにかく敵が湧くフィールドは死にやすくなっている。本来常人であればフィールドを渡り歩くことなどできないが、なぜかフィールド内に町があることによって、プレイヤーは命をつなぎとめることができる。町の重要性をそこまで高めたい。

次の記事でそのための仕組みについて考えたいと思う。