人生

やっていきましょう

考えてみれば自分で自分の作品をつまらないかもしれないと悩む意味はない。自分の作品は多くの人にとってつまらないかもしれないが、それはあくまで他人の意見である。

この分別が重要だと思う。第三者が作品に触れてどう思い何を感じたのかは、自分のそれとは一致しない。彼らの意見は彼らのものだ。しかし自分は、それらを自分の意のままに従わせようとしている。つまり自分の作品に抱く他者の感想は、自分の歓迎する評価や着眼点でなければ認めないということである。

これが作り手としていかに傲慢で的外れな態度であるかは言葉にすれば理解できるが、いざ不安に駆られると冷静な判断を下せなくなる。ネットではこうした妄想に振り回されている主に若い作家をよく見かけるが、自分も彼らと同類であると思う。

もう少し深く掘り下げてみる。自分は自分が生み出したものを他人がつまらないと感じるのを恐れている。もし彼らがそう感じたら、それが作品のすべての価値になると思い込んでいる。

この恐れ、他人がこうであるかもしれないという思い込みがいつしか実体を伴った真実、すなわち相手はこう思っているに違いないという確信に変わる。

馬鹿げている。自分の劣等感が映し出した妄想に作品の価値を委ねている。自分は自分の納得のために創作すべきであって、存在しない悪意に対する申し開きをするために作品を作るわけではない。

自分がゲームの面白さを追求し、仮説を立てて形にしては修正し、自らの根拠をつぶさに検証する限り、存在しない他者からの批判に怯える必要はない。そうではなく、自らの根拠や仮説に対してどのような課題があり改善点があるかを考えた方がいい。