人生

やっていきましょう

557日目

先日の問題点を整理して何をすれば良いのかを考え直した。前回述べた通り、大まかな流れはスタート地点Aから分岐Bと分岐Cに分かれ、ゴールDで合流して終わるという形になる。

基本的にC分岐は①→②→③→④というルートを想定しているが、自由な探索によっては②や③から始めることもできる。またB分岐を経てクリアした後に、C分岐のイベントをこなすこともできる。これを実現するためには、①→②→③→④以外の3つのケース(②→③→④、③→④、クリア後にC分岐)に突入した場合、1つのチャートを分解し、それぞれ別のイベントに置き換えて各々で完結させるように設定する。ただし、③に関しては4章に突入した時点でプレーをできなくする。

当初は①→②→③→④以外のケースに突入した場合、各々のイベントを完全に独立させるつもりだったが、差分を作るのが面倒だったのでイベントはできる限り共有するようにした。ただしクリア後の扱いは完全に作り直す必要があると考えたため、未クリア時の{①→②→③→④}と、{②→③→④、③→④}、そしてクリア後、の3つの分岐を考える必要がある。

まずは未クリア時の{①→②→③→④}と、{②→③→④、③→④}の分岐について考える。

①は男がDに行くために必要な鍵を持っていて、その鍵を渡す代わりにアイテムPを探して欲しいと依頼する。このとき①→②→③→④のケースだと、②に行くためのヒントを与えてくれるのだが、それ以外のケース(既に②を踏んだ場合と、③を踏んだ場合)ではこのヒントを表示しない、という条件を付けくわえた。

②は男が与えたヒントに導かれた先にいる敵キャラとの戦闘で、これに勝つとPを持っているキャラが③にいるというヒントを与えてくれる。このとき先に③を踏んでいたら、③へのヒントを無くし、そうでなければヒントは残すという条件を付けくわえた。

③は未クリアの場合はいずれも変更をしない。特殊な戦闘が始まり勝てばアイテムPがもらえる。

④はアイテムPを持って①の男に渡すと鍵がもらえ、Dに入ることができるというもので、これは特に変更する必要がない。

つぎにクリア後の扱いについて考える。元々A→CというルートはDというゴールを目指すものであった。しかしBを経由して既にDに到達していた場合、Dを目指すという目的そのものが消失する。

このため、①で男がDに向かうための鍵を主人公に与えるという動機そのものが成立しなくなるので、①では②への簡単な誘導、②では戦闘後に自己完結、③では戦闘後にアイテムPの代わりに鍵がもらえ、そのままCルート側から門が開けられる「だけ」で終わらせる。つまり、クリア後では①→②と独立した③だけが残り、④は消失する。

これでおそらくすべての矛盾は解消される。ここまで考えるのは本当に面倒だった。すべてはちょっとしたゲーム上の論理のほころびを回収するというために行ったことだが、そのすべてを回収するということは想像以上の難しさだった。

①→②→③→④という一本道のストーリーだけであればこのようにはならなかった。問題は①からでも、②からでも、③からでも、プレイヤーの自由な選択によっては進むことができるというシステムを挟んだことだった。単にどこからでも行けるというだけなら、それらを個別に独立した設計をすれば良いだけだったが、そこに介入する①→②→③→④のストーリーラインと、クリアしてストーリーが進行した後に再び戻ることができるオープンワールドな設計が話を余計にややこしくした。

はじめからこうすると決めていればここまでややこしい設計にはしなかった。ややこしくなってしまったのは、これまで5年という歳月の中ですべてを思いつきで作り、その思い付きで生まれたものが、5年前に作ったものと、1年前に作ったものと、先週つくったものでごちゃまぜの状態になっていたからだ。それを見事に回収できたというだけでも奇跡に近い。もしかしたら見落としている点があるかもしれないと未だに不安になっている。

ここまで相当手間取っているが、未だB分岐のギミックの問題と、Dの修正が終わっていない。今年中に終わるとは思えないが、できる限りの努力を費やして2章を完成させる(当初は2020年までにイベントを終わらせるといい、先週には3章までは終わらせると言っていたが、現実は2章も完成するかどうか怪しい状況にある。自分は随分浅い見積もりをしていたのだと思った)。

556日目

先日言及したイベントに致命的な欠点を見つけた。元々カットする予定だったシーンを他のシーンと無理矢理合わせようとしたために、ゲームの展開に矛盾が生じるという問題だった。

これは本来自分が想定しているストーリーの流れではなく、ある程度選択の自由が生まれたことによって生じた問題だった。

簡単に言えばAというスタート地点から、BとCという2つのストーリー分岐を選ぶことができ、どちらもDというゴールに至ることになるのだが、例えばBを選択してストーリーをクリアしたあと、次の章に進まずもう一度その面に戻ってAからCを進めるということが物理的に可能になってしまっている。

これだけならDに進んだ後Cの道を断つだけで済むのだが、ここに更に別の問題が複数絡んでいるために安易にCを断つということができないでいる。

Cの分岐を選んだ際に特殊モンスターと戦うことになるのだが、章のクリア後にCへのルートを絶った場合、このモンスターと戦う機会が完全になくなってしまう。そうなると図鑑コンプリートが不可能になり、コンプするためには初めからやり直さなければならなくなる。

ではCの分岐をクリア後も生かすとしたらどうなるのか。これまでややこしかった分岐がさらにややこしいことになる。Cの分岐は①→②→③→④というチャートに従って進むことになるのだが、この①と②と③は必ずしも一本道ではなく、①を飛ばしていきなり②や③から進むということもできてしまう。自由度を優先したシーンであるために、①というのは自力で②や③が見つけられなかった人のためのヒントや誘導という形になっている。

この場合、想定される分岐が①→②→③→④と、②→③→④と、③→④の3つになるが、先に②や③をクリアして④に進むルートを選んだ場合、④に向かうために①の段階で②に誘導するという意味がなくなってしまう。そのため②→③→④や③→④を先に進んだ分岐では、①や②や③はそれ専用のイベントを設けて回収しなければならなくなる。

更にややこしいのは、この章が終わったあとにパーティー編成に変化があるということだ。この章でセリフを言っていた登場人物Xが次章で一時離脱すると、次章に進まずに再びCルートを進んだ際、①や②や③や④で演出していたXのセリフが残っていておかしいということになる。

そこでCルートの選択に関して言えば、①→②→③→④と②→③→④と③→④に加え、さらにXの離脱によってセリフの中身が分岐するということも考えなければならなくなる。

それに加えて、Bのルートを選んでXが離脱した後に、もう一度Cルートの②→③→④や③→④に進もうとすると、本来CルートはDに至るための分岐であるという元々の大前提が成り立たなくなる。クリア後にクリアした場所に向かえという指示が与えられることになり、おかしなことになる(逆の場合は問題がない。Bルートは完全に独立であり、進行の結果Cルート側からDへの道が開かれるという点以外、ストーリーに与える影響は存在しないからだ)。

ここまで混乱していると図鑑を諦めた方がはやいのではないかと思う。当初の予定通り、Dに至った瞬間に別分岐を閉じるというやり方だ。だがそれだけの理由でイベントへのアクセスを閉ざすのはあまりに惜しいので、できればBだけでなくCも残す方法を考えたい。

一度整理して考えてみたら、Xの分岐は①→②→③→④と③→④の分岐によって演出が変化するものではないことに気が付いた。これは①→②→③→④と②→③→④と③→④の分岐に関係なく、Xのセリフの部分を離脱後にはYに置き換えて同様の内容について語らせれば良かった。この部分は個別に解決できる。

自分が注目すべきことは、クリア前の①→②→③→④と②→③→④と③→④、それからクリア後、の4つの分岐によって演出に変化が生じる①と②と③それぞれの分岐である。

①→②→③→④での①と②と③についてはこのままで変更する必要がない。問題は②→③→④と③→④の分岐を選んだ場合だ。このとき①→②→③という一連の方向性を無理矢理バラバラにする。

①ではいずれも④への誘導を取りやめ、別の会話を挟んで完結させる。

②では特殊戦闘が挟むが、②→③→④のルートに入った場合は何も変えず、③→④のルートに入った場合は③への誘導を無くして別の会話を挟む。

③でも特殊戦闘が入るが、②→③→④も③→④も変更を入れない。

クリア後の扱いはどうするか。①と②については②→③→④と同じ扱いにする。③については、④に至るアイテムを落とさず、お金やアイテムを落とすという仕様に変更する。

これで解決かと思ったが、実は③について新たな矛盾点を発見した。③で遭遇するキャラクター(敵)は後の章で再び出会うことになる。ストーリーの進行上、後の章で出会ったあとにこのルートに戻られてこのキャラに遭遇されては非常にまずいことになる。

後の章に入った時点で、このキャラクターには会えないようにすることもできる。だったらはじめからクリア後には会えないようにしてもいいではないかと思った。

ここらへんから考えるのが面倒になった。このゲームの大半は緻密な計画というよりは、数年前の自分が思いつきでつくったものの寄せ集めである。だからそれぞれの影響についてあまり考えておらず、今回のような矛盾が簡単に生じやすくなっている。

結局次のようにすることにした。とりあえず②→③→④と③→④での①の扱いと、③→④での②の扱いについては別途イベントを設けて回収する。クリア後の③の戦闘については④へのアイテムではなくお金か別のアイテムを落とし、後に出会う章に入った瞬間に③のイベントにアクセスできなくする。Xのセリフはクリア後にはYに語らせて解決する。

それでも③の敵キャラに合わせたいなら、どこかで回収できるイベントを用意してもいいと思ったが、たしか4章の方でも似たような分岐があり、色々面倒になったので図鑑のシステムは実装しないかもしれない。この点については保留する。いまは回収不可能な敵キャラを配置するという方向でいきたい。

本当に面倒な問題だ。想定ではこの通りにいけばうまくいくが、別の問題が見つかるかもしれない。2章はすぐ終わると考えていたが、これでは年末までに終わらないかもしれない。またセリフを変えるという作業もかなり面倒だ。セリフとして違和感のないものを配置しなければならないので、かなり時間がかかるだろう。

今日はこの後これらの問題の解決を目指す。寝るまでに半分以上は終わらせられたらと思う。

555日目

自分が面白いと思って書いたセリフが、翌朝見てみるとまったく面白くなくなっているということが頻繁にある。その都度気分を悪くして修正を加えては消してきたが、このままではセリフは永遠に完成しないのではないかと思う。いい加減妥協すべきだろう。

自分が考える面白さとは何なのか、未だによくわかっていない。広い意味での面白さではなく、もう少し狭い意味で、自分の琴線に触れるような面白さがいくつかある。だがそれが何なのか言葉にすることは難しい。

今回のゲームに関して言えば、それは「ぶん殴る」ような笑いでありながら、まったく取るに足らないとすぐに分かるようなものだ。調和のとれた場に突然湯煎を投げかけて笑うようなものだが、それをもう少し上品に希釈し、ウィットに富ませたものにした上で、敢えてそれを自分で台無しにするような笑いを求めている。それは後から解説的にでなく、唐突に降りかかってくる。

つまり、根底に流れる自分の冷笑さを暴力的な笑いで更に加速させたり、その勢いで自分に向かって意図的な致命傷を与えるような笑いだ。こうした混沌とした面白さを自分のゲームでは意識しようとしているが、なかなかうまく表現することができない。

明らかに数年前の自分も同じことを考えていたが、当時はよくわかっておらず、またその主観的な没入によって自分が楽しむことしか考えていなかった。だから今から見れば本当につまらないし、側からみれば、一人で笑って何か変なことをやっているようにしか見えなかった。

今意識しているのは、プレーする側が見てその面白さを感じられるかという視点だ。前提として読んでわかる文章であるということ、読みやすい長さであるということ、話の内容がはっきりしているということなどが重要であると思っている。完全な無秩序を表現するのでなく、ある程度の可読性が保証された、秩序だった混沌を演出するというのが狙いだ。

不思議なことだが、目的を明確に設定し、表現の曖昧さを切り詰めてきてから、自分のセリフの方向性が見えやすくなった。混沌を放置していたらこのようにはならなかった。やはり混沌は秩序立てた方が扱いやすい。

554日目

都合で削減した余分なイベントの再利用の方法を思いついた。今日はそのイベントを作っていた。

あるマップを解放するために2つのアイテムが必要になるが、その先にある台座に更に別のアイテムを置く必要があった。この部分がプレーする側からすれば冗長で面倒だと感じたので、カットすることにした。

この部分を、ある分岐で必要になる鍵と交換するためのイベントとして挟むことにした。これを入れたところ分岐が丁度いい長さになったので採用した。

ギミック部分の修正については未だ解決策が見当たらない。障害物に当たるとスタート地点に戻されるというイベントだが、障害物を最高速度で移動させると、画面上では障害物に当たっていないのに当たった判定になるというバグがあった。

これはおそらく見かけ上障害物が当たっていないように見えているだけで、実際の判定ではあたっているように思う。だがあまりにこのズレがひどく見過ごせないので、これまでの設定を大きく修正する必要がある。

いくつか改善点に検討がついているが、それでも直らなければ障害物ギミック自体を考え直すことも視野にいれている。この問題については後日考える。

 

553日目

NPCのセリフを追加する際、キャラクター作ってからセリフを考えるのではなくまずセリフの一覧を作ってからキャラクターを作って配置した方が作業が捗ることに気づいた。それで今日はセリフの一覧を作ってそれらを埋めるという作業をしていた。

事前に一覧を作ってセリフの内容を決めておくことで、何を言わせたらいいかと考える時間が省略できた。一覧を作成し配置したセリフにチェックをいれることで、NPCの数に無駄がなくなった。

今日だけで2章のセリフがほとんど終わった。残るセリフは今後のイベントの修正次第で変わるので、保留にしてある。

明日は2つのギミックの課題をどうにかする。ひとつは進行の都合で省かれたイベントの再利用、もうひとつはダンジョンのギミックが正常に機能しないことの問題だ。この2点を解決した後、終盤の演出を修正して2章は完成となる。

 

552日目

自分が使っている言葉をよく観察してみれば、その意味するところがどこか曖昧であるということに気がつく。自分は自分が用いている言葉をよく高校課程の範囲に収束するという言い方をするが、これは自分の言語能力をよく言い表した言葉だと思う。自分は専門的な用語をほとんど使わないし、使うことができない。自分は専門用語が規定するほどの厳密さを、自分の言葉に認めていない。

言語の解像度の話をしている。例えば自分は「普通」であるとか「事実」であるとか、「自明」「主体性」「自分」「意味」といった単語を好んで使う。しかしそれらは厳密な定義を持っているわけではなく、やや広範囲の解釈可能な領域に「ここらへんのこと」というラベルを張り付けているにすぎない。自分でもそれが何を意味しているかよくわかっていないまま、「ここらへんのもの」を指す際に上記の言葉を使っている。

自分が恐れているのは、自分が認識している言語解釈以上の厳密さが存在しうるということが見えなくなることだ。自分が見慣れている言語だけを取り上げて、それらによって構成される曖昧な世界観が自明のものとなったとき、その言葉の厳密さは不十分であるという自覚が次第に薄れてくる。これは何度か経験しているからこそ危機感を抱いている。

このとき自分は、言葉の厳密さを求めようとして自分の言語運用能力を1から100まで飛躍させる何かを求める傾向にある。しかし言葉の厳密さはそうした飛躍によって達成されるものではほとんどない。仮になにか「本質的な」直感によって1から100まで飛躍できたとしても、それは簡単に言えばaからbの間に限定されるものであって、他のcやdの間も同様に飛躍できるとは限らない。自分はそう考える。言葉の厳密さというものは、全方向の認識に対して確かな一歩を少しずつ踏んでいくという地味な作業が求められる。自分が最も苦手とする作業だ。

自分を評価するならば、自分は直感に基づいて言葉をただ連想させるということしかしていない。その言葉の意味はどういうものか、その言葉は自分の言葉で定義できるか、といったことをまったく考えていない。そのため、たとえばあるピンポイントの事象や出来事に対して考えるとき適切な言葉を与えることができていない、ということが頻繁に起こる。自分が直感を垂れ流してブログを書くときよりも、自分が読んだ本の簡単な感想文を書くことの方が難しいと感じる。感想を書くためには対象の正確な把握が必要だからだ。自分はそうした一意に定める言語能力を持たない。

そこでひとつ気付いたことがあった。観察によって得られた事実というものは、直感的な確信とは別モノであるということだ。観察というのは、自分が何をどう思っていようが、それとは別に五感を用いて得た外部の情報をそのまま把握しようと努めることだ。直感的な確信、というのはいくつか事実に対する偏った認識を含んでいる。ある限られた部分に対して過程を飛ばして意を捉えているために、その確信が及んでいる範囲の外のことになると何もわからなくなる。その内と外は厳密な論理や観察によって繋がっていないからだ。

直感とはたとえばサイコロの1面だけが鮮明に見えるというようなものであり、その裏面や側面を把握するには直感ではなく観察や分析的態度が必要になる。自分の場合、そのように考える能力が足りないということが分かっている。だから自分が意識してそのように考えることを学習する必要があると考えている。

自分は自分と同じように言葉を運用している人間をTwitterで何人か知っている。彼らが自分でそう言っているわけではないが、やはり直感的に分かってしまう。彼らも自分と同様、意味の厳密さ以上に、言葉のリズムや創造的な連想によって導かれるように書いている人間なのだ。しかしそれは、事実以上に直感的確信を優先させているという点で危うさがある。

彼らはしばしば、自分が認めている世界観が偏りを含んでいて不十分なものであるという自覚を持っていないように見える。彼らは彼らが分かってしまうといういわば直感的事実とでもいうべきものに従って、その世界観に没入している。だから偏りが過ぎていたとしても、自分で気づくことは難しい。

だから自分は、自分の考えやその根拠となる言葉の使い方を絶対視しない。現実問題を考えるときは、一旦直感というものを控えておいて、どうにか分析的な態度を持つことができないだろうかと考えている。

これがなかなか難しい。分析に長けている人間もまた何人か知っているが、彼らがどのような思路によって現実を捉えているのかが知りたい。それを理解した上で、自分のものの見方のひとつに加えられたらと思うが、どういうわけか彼らは口をそろえて普通に考えたらそうなるといったような話をする。分析的態度が自明の人間もいるのかと、そのときはじめて知った。

とにかく自分は、少なくとも言葉に関しては分析的に考えられるようになる必要がある。そのためには先に述べたような1から100になるような直感を期待するのではなく、簡単な問題について、できる範囲で考えていくということだ。例えば、自分が今まで知らなかった言葉や、自分の言葉に不安があるものについては常に調べる習慣をつける。全体を見渡したときに文章としてある程度の意味成しているかを振り返る。表現を何度も推敲する。こうした基本的な部分を継続させることから始めていきたい。

 

551日目

今日だけで2章の半分が完了した。残す部分は3章へのつなぎとNPCの会話の修正、それからカットした部分の再利用先の検討だけとなった。今日か明日には完成する予定だ。

今日はタクシーのイベントを新たに追加した。数年前からそのアイデアはあったが、実現や演出が面倒で後回しにしていた。今回実現するにあたり、それほど苦労はなく数時間で完成してしまった。

だが一方で、マップのBGM選びには相当苦労した。与えられた多くの素材に対して、場面に適した音楽が見つからなかったからだ。今日はほとんどその作業にあたっていたが、結局ひとつも見当たらなかった。BGMはBGMで後日まとめて考えたほうがよさそうだ。

課題はまだいくつか残っている。早いうちに完成させたい。