人生

やっていきましょう

555日目

自分が面白いと思って書いたセリフが、翌朝見てみるとまったく面白くなくなっているということが頻繁にある。その都度気分を悪くして修正を加えては消してきたが、このままではセリフは永遠に完成しないのではないかと思う。いい加減妥協すべきだろう。

自分が考える面白さとは何なのか、未だによくわかっていない。広い意味での面白さではなく、もう少し狭い意味で、自分の琴線に触れるような面白さがいくつかある。だがそれが何なのか言葉にすることは難しい。

今回のゲームに関して言えば、それは「ぶん殴る」ような笑いでありながら、まったく取るに足らないとすぐに分かるようなものだ。調和のとれた場に突然湯煎を投げかけて笑うようなものだが、それをもう少し上品に希釈し、ウィットに富ませたものにした上で、敢えてそれを自分で台無しにするような笑いを求めている。それは後から解説的にでなく、唐突に降りかかってくる。

つまり、根底に流れる自分の冷笑さを暴力的な笑いで更に加速させたり、その勢いで自分に向かって意図的な致命傷を与えるような笑いだ。こうした混沌とした面白さを自分のゲームでは意識しようとしているが、なかなかうまく表現することができない。

明らかに数年前の自分も同じことを考えていたが、当時はよくわかっておらず、またその主観的な没入によって自分が楽しむことしか考えていなかった。だから今から見れば本当につまらないし、側からみれば、一人で笑って何か変なことをやっているようにしか見えなかった。

今意識しているのは、プレーする側が見てその面白さを感じられるかという視点だ。前提として読んでわかる文章であるということ、読みやすい長さであるということ、話の内容がはっきりしているということなどが重要であると思っている。完全な無秩序を表現するのでなく、ある程度の可読性が保証された、秩序だった混沌を演出するというのが狙いだ。

不思議なことだが、目的を明確に設定し、表現の曖昧さを切り詰めてきてから、自分のセリフの方向性が見えやすくなった。混沌を放置していたらこのようにはならなかった。やはり混沌は秩序立てた方が扱いやすい。