人生

やっていきましょう

1256日目

自分の人生に最も悪い影響を与えた類の人間は、いずれの場合においても自身の関心がすべてであり、他人にそのことを延々と語り続け、相手の都合など何ひとつ考えない人間であった。大人であれ、子供であれ、こうした傾向をもつ人間はなぜか自分のところに集まって来た。自分が優れた聞き手で相手の良いところを引き出せる人間だったからだろうか。そうではない。要は自分は口がきけないから、自分の言いたいことを言いたい人間が寄ってきただけである。

自分は各々に対し懸命に耳を傾け続けた。話の主導権は常に相手であり、自分はそれをただ頷いて聞くだけだった。しかし相手は自分でなく、自分は相手ではない。話を聞いていれば自分の意見というのもいくつか出てくる。しかしこうした意見は聞いてもらえなかった。ある人は本当に嫌そうな顔をしてはいはいとまったく耳を貸さなかった。ある人は完全に自分の意見を無かったものとして話をつづけた。ある人は理解力が完全に欠落しており、曲解した挙句に感情的に敵意を見せた。

彼らの存在が、相互理解やコミュニケーションといった信頼構築の方法があるという事実を見えなくした。自分は長い間、他人というものは常に自己中心的であり、自分の関心を永遠に吐き続けたい人間しかいないと思い込んでいた。なぜなら自分に近づいてくるすべての人間が当人の関心の貪欲さに対して、こちらの興味にまるで関心がないからである。

こうした傾向はやはり大きくなってからも続いた。近づいてくる人間は大抵自分の話に興味があるのではなく、自分の話を聞いてくれる木偶を望んでいる。対等な話者、あるいは自分の話を聞いてくれる存在というのはどこにもいない。自分の本心にはどうでもいい関心を、圧倒的な情報量でぶつけてくるという暴力、それを無理に聞いている自分の擦り切れていく忍耐、こうした人間としか関わってこなかったので、自分は他人がほとんど誰も信じられなくなっている。

いつしか自分も彼らのようになっていると思うようになった。彼らの関心によって抑圧された自分の考えを、誰かに吐かなければ気が済まないのだった。ある時期にはなりふり構わず知り合いに考えを吐き続けたときもあった。悪いことをしたが、しかしそのことで何かが解決された試しはなかった。

結局のところ、自分は甘えていたところがあった。自分に寄って来る人間というのは大抵自身の価値観を一方的に押し付けたい人間ばかりだったが、そういって関心を求められるというのは、自分が他者からの認知を得て、承認を得られる唯一の機会だった。だから自分はあまり相手を悪く思うことができずにいた(彼らもみな悪意があるわけではなかった)。

しかし今にして思えば、はじめから承認などいらなかった。話の合わない人間と無理につきあう必要はなかった。価値観が合うかどうか、最低限相手を尊重する礼節を弁えているかどうか、自分が関心を持っているか、これらを考えて他者との距離を調整すればよかった。合わない人間は距離を離し、合う人間と関わればよかった。

最近比較的正常な人間と関わるようになり、以前関わってきた自己中心的な人間たちが異質だったということを自覚させられた。もちろん程度の差はあるが、おかしい人間というのは一定数存在する。

おかしいと言えば、自分の精神状態が不安定だった時期も今思えば十分狂っている。今の自分が当時の自分と出会っていたら、ああいう関わり方をする奴は面倒な人間だから関わるのを避けようと考えると思う。しかし当時の自分はそのことが見えていなかった。

だからおかしい人間が自分にかかわってきたということをあまり責めたり呪ったりするつもりはない。彼らには彼らなりの理由があって狂っていた。だからこそ過去の復讐と言わんばかりに責め立てるのではなく、自分の立ち回りを考えてただ距離を取るなりすればいい。