人生

やっていきましょう

99日目

今日は疲れていたので何もしなかった。明日は本番と同じように公式問題集をやろうと思う。13時から15時。リスニングとリーディングを連続で解く。公式問題集4 step2は難易度が高いといわれており不安がある。

テストまで残り1週間。どうすべきか悩んだが、step2の復習を中心に可能な限り全体の復習をこなすべきだと考える。リスニングは今まで通りシャドーイングとディクテーション、リーディングは時間内に解く訓練、解けない問題は捨てる訓練を積みたいと思う。

そういえば先週と今週の短期目標を評価し忘れた。しかしやることに特に変化はないのでこのまま同じように進めていく。

98日目

単語を復習した。あまり忘れていなかったので安心した。忘れていた単語を1枚のプリントにまとめた。次からはこれを復習すれば済む。

家に帰ってからリスニングをこなした。リスニングは途中で疲れてやめてしまった。特に改善した点もない。

リーディングはやらなかった。これも疲れていたからだ。寝る前にやろうとしたが気分が落ち込んでいたのでやめてしまった。

リスニングの時間が圧倒的に足りない。とにかく問題に躊躇うことなくできるレベルにまでは持ち込みたい。最後の1週間はひたすら演習をこなす。特に時間感覚を身につけて本番に臨みたい。

97日目

今日はリーディングをやった。新しい参考書を持ち出してやった。『新TOEIC TEST 読解特急2 スピード強化編』だ。昨日の参考書に比べて難易度は下がる。字数も120words〜160wordsと少なく、設問も3つしかない。そのかわり問題が30題ある。タイトルにある通りこの参考書はスピード強化を目的として出版された。だから自分も今回は速いスピードで読む訓練をした。

結論から言えば十分成果があった。30問中17問を解いたが、速い時は175words/minで読めていた。遅くとも120words/minで、全体の速さを平均すればだいたい120words〜140words/minといったところだ。前回の100words/minよりも20words/min速い。これは単語が難しくなかったのと、メールや広告というフォーマットに乗せられているため推測が容易だったためだ。しかし目標の150words/minには届かないのがほとんどだった。17回中4回しかなかった。それでも進歩といえる。

今回のことではっきりした。自分は簡単な文章は速く読める。難しい問題は時間がかかる。先日指摘した通り、難問は時間をかけて解き、その分簡単な問題で時間を稼いだ方がいい。当たり前のことかもしれないが、このことは極めて重要だ。忘れないようにしたい。

課題がいくつかある。まずスピードを重視するあまり簡単なミスが増えたことだ。速く読めるようにはなったがしっかりと根拠を見出さずミスをすることが増えた。少しスピードを下げてでも設問や本文を正しく読み込む必要がある。何度も指摘してきたが、解答の根拠は必ず持つようにする。

次に読み直しについて。今回は簡単で短い文章だったため読み直すことはあまりなかったが、その分読み直しが起こりやすい設問を特定できた。推測問題とNOT問題だ。この問題については読み直しを前提にしてもいいと思う。語彙問題や部分で取れる問題は本文を読む過程で解いていき、根拠が全文に散らばっているものはしっかりと読み直す。

最後に自宅について。図書館から帰ってきたら疲れて何も勉強ができなくなる。そのまま夕食を取ってベッドで横になり、スマブラを起動したかと思えば2.3時間経っている。それから自己嫌悪に陥りあとは疲れて寝てしまうというケースが多い。そのためリスニングができずに終わる日が何度もある。

自宅は勉強ができるという前提ではなく、できないという前提で計画を立てた方がいい。その方が現実的だ。図書館であれほど家で3時間リスニングをすると決意しても、実際3時間やったのはスマブラの方だ。あと1週間しかないのにこれだ。意志薄弱が過ぎるのではないか。

できないという前提に立ったとき、どうにか無理して自分ができるのは21時以降。21時からは確実にやるようにしたい。たった1週間だ。今までの短期目標を達成してきた自分ならできるはずだ。

 

96日目

リスニングとリーディングについて分かったことがある。

リスニングはシャドーイングとディクテーションの効果を僅かに実感できるようになってきた。特に注意を向けなくてもひとつひとつの単語がはっきりと聞こえてくるようになった。色々勉強方法を試したが、一番効果があったのは文章を見ながら同じ音声を5回声に出して読むことだ。リスニングの速いテンポに慣れることができる上、数字で管理しているからメリハリがつく。次からはこのやり方を採用したい。

リーディングは参考書の残り半分をこなした。時間は100words/minを下回ることはなくなった。速い時には130words/minは出るが大抵は100〜110words/minに落ち着いた。やはり難問は100words/minと考えた方が良さそうだ。難問は速さよりも正確さを優先させる。

リーディングについてもうひとつ。今までpart7に対する解き方のアプローチを確立できていなかったが今日になって何となく自分に合うやり方が分かり始めた。長文問題は本文、設問、選択肢の3つだけで構成されている。先日自分はまず本文から読んで次に設問、次に選択肢という順番で解いていた。しかし本文の浅い読みに加えて設問の難しさがあるため、設問と選択肢を読む際に何度も本文を読み直してしまった。これは時間の無駄だった。

今回自分が試した方法で効果があるやり方は以下の方法だ。

1.まず設問を読んで本文で何が問われているかを把握する。

2.そのまま本文を読む。

3.問われている箇所に直面したら設問を見直し選択肢を検討する。

4.それを解いたら本文に戻る。これを繰り返す。

5.本文を読み終えて残った選択肢を見直す。残った選択肢は根拠の見落としたものであるため、ここで初めて本文を見直す。

 

これが理想だ。本文を読み直すこともなく、着実に根拠を当てていきながら、本文が読み終わった時には大抵答えられている。根拠の見落としも全文を読んだ後だからピンポイントに読み直しができる。また残った問題が難易度の高い問題である可能性が高いので捨て問題のフィルタリングとしても機能する。

しかし実際はそううまくいかない。様々な不確定要素が絡んで何度も読み返してしまうだろう。だがこの動きを徹底すれば今よりは効率的に解けるというのも事実だ。本番までにこのやり方を洗練させたい。

 

 

95日目

今日は部屋の奥でリーディングの参考書を見つけたのでそれを取り組んだ。『新TOEIC TEST読解特急3 上級編』という参考書で、大学2年の頃に買って放置していたものだ。もったいないので使うことにした。

同時にリーディングの時間を計ることにした。1分間に何words読めるかスマホのストップウォッチで計った。

10題解いて速さが大体分かった。じっくり読めば95〜100words/min、かなり浅く読めば120〜130words/minだった。これ以上速くすることもできるが、ほとんど内容が頭に入ってこない。満点を取るつもりで読み返さずしっかり読もうとすると安定して100words/minになる。時間でいうと3分〜3分30秒程度。設問の時間は省いている。

理想は150words/min以上であると聞いている。はっきり言ってこの難易度では無理だろうと思う。せいぜい100wordsが限界だ。難易度のせいかもしれないが、この参考書では大体これくらいの速さになる。これでもかなり無理がある。設問を解く際に読み返していると時間内に終わらない。設問5問に対して大体5分が上限というが、実際設問を解き始めると5分では収まり切らず6分〜10分はかかってしまう。本番でも難易度が高いとこれくらいかかってしまうということだ。

言うまでもないが正確に速く読むことが重要だ。そして正確に読む方がまず優先されるべきだ。今回は焦りから雑に読んでいたが、正確に読んで取れる平均速度を上げることが目標になる。今回分かったことは自分の読解速度が明らかに遅いということだ。数値に表すことで客観的に理解できた。自分は客観的に見て遅いのだ。後日難易度を下げた文章ではどうなるか比較してみる。その上でどうすべきか判断する。

 

94日目

今日は公式問題集を時間を解いた。今まで復習に使っていた方の問題だ。時間を計って本番通り解いた。とはいえ今まで散々復習してきた方だったから、どんな問題が出るかは分かっていた。

リスニングは93点、リーディングは95点だった。完答してから5分余った。これが本番なら申し分ない出来だ。しかしこれが本来の実力ではないことは分かっている。無意識にどの部分に根拠があるか当たりをつけ答えを出していた。だから多少誤魔化して解答していた点もある。

リーディングで一度眩暈がした。part7に入る時、時間は最後の方から解き始めた。いつもトリプルパッセージ問題を解き終わる前に時間切れになってしまうからだ。そこで後ろから解き始めたのだが、突然何も分からなくなり頭が真っ白になった。文章を読んでも全く頭に入ってこなかった。時間がない、時間がない、時間がないと頭の中で叫んでいた。そこでかなり時間を失った。どうにか意識を集中させ息を整えたが、これが本番だったら大変なことになっていただろう。

時間を計るのと計らないのとでは全く異なる。時間が刻一刻と失われていくことの恐怖が、今やるべきことを曇らせる。そして何もできずに終わってしまう。何かできたはずのことも、失われていく時間への恐怖に奪われてしまう。思えば自分の人生もこうだった。限られた時間の中で何かを成し遂げるということができなかった。失われる時間、機会、能力、その恐怖で頭がいっぱいだった。自分は何もできずに人生を終えるという恐怖が、逆に自分の可能性を阻害した。

この時自分ができることは今目の前のことに取り組むということだけだ。そのための言い訳は自己啓発という油田から無数に湧き出てくる。ベストを尽くせ。ただやれ。ベストでなくてもベターでいい。たかがテストだ、パニックになる価値はない。失敗したらまたやり直せばいい。

腐るほど聞いた。どれも自分に語るのは一緒、平常心を保ち目の前の課題に集中しろということだ。

どうすればいいだろうか。時間が定められているなら、どうにか時間通りに終わるよう逆算するしかない。逆算していつでも再現できるようにすることが重要だ。予想外のケースを極力排除する。そのために時間管理をはっきりさせる。

今日は問題を本番と同じ条件で解いた。時間に関して言えばリスニングは問題ない。集中力を切らさずひたすら解くだけだ。リーディングは少し検討が要る。part5とpart6は15分かかった。しかし本番はより不安定だと考えると20分は見積もっておいた方がいい。part7は55分かかる計算になる。しかしシングルパッセージとダブル、トリプルパッセージ問題は別々のパートであると考えた方がいい。シングルは25分、ダブルは10分、トリプルは20分だ。それぞれ設問1つにつき1分である。それを意識する。

今回の解答時は問題なかったが、本番は時間により厳密であるべきだと思う。いつも分かりそうで分からない問題に直面すると惜しくなって解いてしまう。そして時間をドブに捨て間に合わなくなる。分からない問題を捨てる練習をするべきだ。練習は練習だ。もっと大胆に放棄しても良いのではないか。

問題の解決について少し混乱している。一度情報を整理してひとつの文章にまとめる必要があるように思う。それらを整理した上で、時間を計って2つ目の問題を解いてみたいと思う。

 

 

 

 

93日目

精神が不安定で何もできなかった。昨日に引き続き勉強をせずに横になった。まさかこうなるとは思わなかった。ここに来て精神が崩れるとは。試験2週間前で今更倒れている場合ではない。しかし無理をすれば余計に悪化する。

ゲームでどうにかしようとしたが、自分が今やっていることの意味が分からなくなり、ますます精神が不安定になった。いったいどういうことか。何が不安なのか。

試験に対する不安はない。問題が解けないことに不満はあるが、目に見えた目標だからどこか試行錯誤すればいいという安心がある。

自分が不安になるのは先の話、未来のことを考え始めるときだ。自分はこの先何をやってもうまくいかない、努力も虚しく何も実らず死んでいくという思いに支配される。

そういうことを考えるのは時間の無駄であり、今この瞬間のことだけを考える必要があるというのは散々自分に言い聞かせてきた。実際そうするしかない。しかし、それが出来ない。気を抜けばすぐに不安が押し寄せてくる。自分は不安に対してあまりに無防備だ。

できる人間は不安をコントロールする術を持っている。どんなに屈強な人間であれ、不安を感じない人間はいない。しかし不安に支配される人間とそうでない人間がいる。その違いは何か。おそらく自分で自分を肯定する術を身につけているかどうかだろう。

今まで自分はこう考えていた。自信は他者からの評価に委ねられる。与えられた地位、与えられた名声、評判、皆が認める実績。そういうものが結局は自己肯定感に繋がると。

確かにこれは正しい。昨今の風潮を見れば分かる。誰もが常に何かになろうと必死になっている。メディアはこう喧伝する。君はなりたい自分になれる。夢を掴め。どんな人間でも扉は開かれている。サッカー選手、野球選手、プロゲーマー、漫画家、作家、アイドル、東大生、アントレプレナー。なりたい自分を探せ。諦めたらそこで試合終了だ。

こんなものは市場を稼働させるための方便に過ぎない。しかしなぜこのような煽り文句がかつてないほどに人を魅了し、多くの人間をどん底に突き落として尚、決してその存在を否定されることなく、その地位にあり続けるのか。それは人が皆何者かになろうとして、何かであると言う肩書きを欲しているからだ。その肩書きを持てば無条件で肯定されると思っているからだ。何者かにならなければ、自分は無価値であると考えているからだ。

しかし自己肯定感の強い人間は、こうした不安に揺らぐ様子を見せない。彼には夢があろうが無かろうが関係ない。今の自分をありのままに肯定しているようだ。

自己肯定感は挑戦と闘争心、屈強さから湧くと考えられがちだが必ずしもそうではない。過度な挑戦をしなくても自己肯定感に満たされている知人を自分は何人も知っている。だから自己肯定感に強さは必要ない。

最近思ったことだが、自己肯定感とは身の程を知りそこに満足するということではないか。これは否定的な意味ではない。自分の実力、性格、傾向を受け止めた上で納得するということだ。

ツイッターで誰かが言っていたが、この自分をありのままに見つめる能力がないと人間は安定しなくなる。自分の実力を過度に期待しすぎると理想と本来の実力の間にギャップが生まれ、こんなはずではないと思うようになる。一方自分の実力を過度に卑下しすぎると、それもまた自分の実力との間にギャップが生まれ、自分は何をしても無駄だと思うようになる。

自分は自分が無いという現実に直面し、ある時は自分を高く見積もりすぎ、ある時は自分を低く見積もりすぎた。自分を高く見積もりすぎた時、自分は実力と理想のギャップに苦しみ努力の妄執に取り憑かれ何者かになろうとしていた。自分はどこまでも拡張できると思い込んだ。自分を低く見積もりすぎた時、自分は何もできず自殺するしかないと思うようになった。他人の目を極度に恐れる一方、誰かに助けてもらいたいと思いながら、誰も助けてくれないことを心底呪った。

自分は自分を見ていなかった。自分はどうしようもない弱者であると言う事実から目を背けたかった。しかし自分はそこまで実力がないわけではない。自分が卑下しようが自分にはやり遂げたことがいくつかある。これらは自慢すべきものとは決して言いがたいが、事実である。すべて本心からやったわけではないにしろ、これらのことができたという事実は適切に評価される必要がある。そしてそれができるのは自分以外にない。

自分を適切に評価し、その中でできることを積み上げていくことが重要だ。不安に襲われたら適切に評価した自分の過去を振り返るがいい。適切というのが重要だ。事実を事実としてそのまま受け止める。加減を見誤ってはならない。