人生

やっていきましょう

3日目

今日は図書館へ行って本を返したあと、新たに本を3冊借りた。筒井康隆『日本SF傑作選1』にクラークの『幼年期の終わり』それにカフカの『異邦人』を借りた。2つはSF小説だが、本に限って言えばSFだけが好みじゃない。正直SF小説はあまり読んだことがなかった。自分が大学1年の頃はH.G.ウェルズの名前すら知らなかった(中学の頃にはタイムマシンを読んでいたけれど)。

読書には感動やエンターテイメントを求めるというよりむしろ学びを求めていた。思考実験のきっかけだ。もしこういう状況になったらあなたはどう考える?という問題を、著者と一緒に考えるのが好きだった。答えなんてどうでも良く、ただ考えるのが面白かった。

いつからかそんな好奇心も薄れ、ただ競争のために知識を詰め込むことしか考えられなくなった。きっと大学受験の影響だ。高校の頃にはもう本は読まず、代わりに参考書を読んだ。好奇心からでなく義務感からだ。思考実験の暇はなく、問題に対して適切な答えを返すという訓練を続けた。その成績は偏差値として出され自分の地位が上位何%にいるかを自覚する。それが終わるとまた次の競争の準備をした。

こういう亡霊は未だ拭えず自分に取り憑いている。競争の強迫観念、挫折はイコール死、止まることは許されない。前進と進歩が未来を約束する。自分は全国的に学習面で優れているとは言えなかったから、とにかく追いつかなくてはならないという思いがあった。そして追いついた頃には自分を失っていた。

戦争で地獄を見た軍人は、戦争が終わっても人の心が戻らず、心がまだ戦場にいるというのを聞いたことがある。自分もそのうちの一人だ。裕福な家庭の生まれで幼少から緻密な教育を受けたわけでもなく、東京の中高一貫校で勉強の基礎を積み上げたわけでもない、自分は高校から勉強を始めた、どこかの地方の名もない学生でしかない。そんな自分の存在証明はテストの点くらいしかなかった。慣れない努力だ。無理が祟って頭がおかしくなった。今でも競争の圧に苦しんでいる。もうこの傷は元には戻らないだろう。不幸なことに、こうしたゾンビは日本中いたるところにいる。彼らはきっと本を読むことも思考実験を楽しむ余裕もなかっただろう。目の前の競争、それがすべてだ。

いったい自分は誰と、何を戦っていたのだろうか?明確な夢のためでも、純粋な好奇心のためでもない。コンプレックスが見せる、競争という名の形のない亡霊、それに踊らされていたのだ。自分はそれを知り挫折したのだが、その話はまた今度にしよう。

読書というのは自分の原点のひとつだ。原点に戻り自分らしさを取り戻すというのは思ったよりも効果がある。何かの必要から読むのではなく、自由な思索のために読む。これは自分にとっていい機会になるだろう。長続きしない自分でも読書の習慣には抵抗がなくなってきた。義務感が薄れ好奇心が戻ってきた証拠だ。

だいたい言いたいことは終わった。残りは今日の一日を振り返って締めくくろう。今日は本を借りるついでに軽い丘に登った。地元の風景がよく見えた。自然がゲームか映画の世界に見えてしまった。ゲームの勇者みたいに少し長い枝をブンブン振り回した。ほとんど一日中仮想世界にいるから無理もない。帰ったら借りたSFのDVDをみた。これが面白かった。鑑賞したらツイッターに感想を書いた。偉そうに評論する気はない。誰かの目に留まって鼻で笑われるくらいがちょうどいい。迷惑なら勝手にフォローを外すだろう。本は軽く読んだ。疲れていてあまり読めなかった。続きは明日読むことにしよう。