人生

やっていきましょう

119日目

そろそろ何か生産的なことを書こうと思いつつも、何を書こうとする気にもなれない。目的を急に失った。おそらくこうした状態がしばらく続くだろう。

こうした空虚な日々を記録をする価値があると思えないが、今ここで記録を止めてしまえば自分はもう次に記録をやろうとは思わないだろう。記録は自分の自尊心、向上心を維持するのに役立っている。今停滞期にあるからといって、記録を捨てるのはあまりに惜しい。長期的に見れば記録は自分の未来に対する投資になる。

最近自分の挫折をはっきり受け入れることができるようになった。今までは目を背けたい事実だったが、挫折が客観的な事実として認識できるようになった。これも記録のおかげだと思う。自分の挫折は目標を持たずに過度な努力をむやみにやり続けたことにある。それであっさり限界に達して挫折した。だから目標を定め努力を工夫すれば、まだ自分にもできることはあると思うようになった。

これは厳密に言えば正しくない。方向性を定めない過度な努力を自分に強いた根本的な自分の歪みが矯正されないことには、いくら目標を定め工夫をしても長くは持たないからだ。その上、根本的な歪みは容易に解消することはできない。だが自分は、それでもこのままではいけないと思っている。何かしなければと思っている。

これは本心に近い。自分は今の現状に満足できていない。何か欠落があり、それを埋め合わせなければならないと思っている。そうでなければ自分はいつまでも安心することができない。

この感覚が正しいかどうかは知らない。だが僅かにでもそう思っている限りはそう思わせておけばいいと思っている。そう思える時期というのはおそらく一生のうちに限られている。だから自分はそう思える内にやっておきたい。