人生

やっていきましょう

144日目

時間は有限であるということを最近考える。自分が無駄に悩み苦しんでいる1日は、他に何か有効活用できたであろう1日であったはずだ。しかもその日は戻ってこない。そういうことを強く実感している。

今日は本当に無駄な一日だった。何もしなかった。何もしないまま一日が終わった。自分の場合、気が付いたら何もしていないことが多い。つまり放っておくと何もしないまま終わってしまう。明日もそうなると言った通りになった。

自分の場合、人生は停止が基本であって、放っておくと何も変化しない。何もしないということが基本になっている。だから何かをするということがとてつもなくハードルが高い。放っておけばずっと寝ているし、ずっとスマホをいじっているだろう。

自分の人生について少し考えた。自分の人生は、ずっと寝ていてずっとスマホをいじる以上に価値のあるものだろうか。心身共に傷ついたという名目のもと今の惰性に甘んじている現状を変えて、認識を改め、努力をこなし、成長と発展を望み、自らの恐怖と戦い、人間としての挫折を克服し、何者かになろうとする価値があるだろうか。

そんなものはない。無いという結論に去年の段階で至った。すべてに価値はないのだ。だがすべてに価値がないからといって、何もしないことに価値があるわけでもない。すべての価値が自分に何の期待も与えなくなったからといって、自分の生存に関する不安と恐怖はずっと残り続ける。

だから努力をする。どうにかしたい。これが今自分の望んでいることだ。そのために自分の現状を改善することを決意した。このことを忘れてはならない。4ヶ月前、自分はそうした思いで記録を始めたのだ。そのまま塞ぎこむのではなく、立ち上がることを選んだ。易きに流れず険しい道を選んだ。その選択を自分は選んだのだ。価値の根底に無が潜み、すべてが無意味であるからといって、価値を後付けしてはいけないわけではない。価値は積極的に後付けしていくべきだ。この脆弱な価値は今にも死にかけている。TOEICのあとの旅行以後、急速にその動機を失いつつある。これは危険な状態だ。

だから自分は決心した。月曜から短期習慣を再開する。自分の意識を蘇生させる。具体的には定時睡眠、風呂、筋トレを復活させる。18:00までゲーム禁止と図書館はこれらの実現次第で判断する。日曜には振り返る機会を設ける。とにかくやる。傷心を理由とした惰性を一度壊す。1週間だけ試す。それで無理ならまた惰性に戻って、次のやる気を待てばいい。とにかく月曜から実行に移す。忘れないように明日も同じ話題を書く。