人生

やっていきましょう

143日目

今日はAge of Empiresという戦略ゲームを少し触れた。文明同士が覇権を争うゲームで、知人の誘いで少しプレーした。ターン制ではなくリアルタイムで進行するため注意がいる。状況が転々とする中臨機応変に対応することが求められる。

単純に説明するとこうだ。ゲームの目標は敵文明を全て滅ぼすこと。そのためには軍事ユニットで敵の施設やユニットを破壊する必要がある。ユニットを作るには施設と資源がいる。施設をたてるのにも資源が必要だ。資源はマップに生えているものから採取する。したがって資源をコンスタントに集めつつ、その時々の状況に応じて必要な箇所に配分することが求められる。

またこのゲームには時代がある。暗黒の時代、領主の時代、城主の時代、そして帝王の時代だ。テクノロジーを研究して内政に資源を投じれば、それだけ早く次の時代に進める。次の時代に進めれば、前の時代よりも更に強化されたテクノロジーを研究でき、施設やユニットの強化が可能となる。

だが内政ばかりに注力していると敵の妨害にあう。敵の妨害に対して対抗できる兵士がいないと、資源の回収ユニットが攻撃され、その分内政が遅れてしまう。対抗して資源を兵士の開発と生産に充てて、防衛したり攻撃しようとすると、やはり内政が遅れてしまう。一番バランスが良いのは内政と軍事を両立することだが、状況によっては優先すべきものが変わる。前衛なら軍事、後衛なら内政といったところだ。

自分はかなり昔からこのゲームをプレーしていたが、コンピュータ相手にもうまく勝てた試しがない。普通難易度でも負けることが多く、易しい難易度でようやく勝てるくらいだ。Steam版が出る前のAIは割と簡単(20年前のAI)だが、Steam版以後のAIは中々強い。自分では敵わない。

一方知人の方は難易度「非常に難しい」のAI相手に余裕で勝てるようで、更に上を行くMODの強化AIにも勝てるようだ。そこで自分は戦略ゲームに向いてないということを自覚させられたが、そもそも自分は戦略を立てること自体が向いてないという気もしてきた。有限の資源をいかに配分し有効な状況を作り出すか、ということについて自分はまるでできていなかった。

たとえばこのゲームでいえば、次のような安易な発想に陥ることがよくある。「城がなんかかっこいいから建てる。施設から弓が出てくるし、特殊ユニットが作れるからつくる」「砲台がめっちゃ強いから砲台ばっか建てる。その方が面白い」「とりあえず軍隊は放置して一気に城主の時代に駆け上がるか。その方が相手より強いし」

自分は「かっこいい」とか「面白そう」とかいう軸でユニットを作っていた。覇権を制するのはそのおまけで、要はかっこいい軍隊や城を並べて満足したいだけなのだ。こうした王は歴史上数多くいただろう。だが結局はその弱みを突かれて敗れてしまったはずだ。

ユニットにはそれぞれ強みと弱みがある。城や砲台がつよそうだしかっこいいからといってそればかり建てていると、強化された投石器や破城槌の餌食になる。また、施設を容易に破壊しやすいからといって破城槌や投石器ばかりを生産していると、剣士や騎士の餌食になる。こういう強みと弱みを意識しながら軍隊を編成することが戦略というものだ。自分は明らかにそれができていない。

現実でも心当たりがある。TOEICを勉強するといいながら、雑に公式問題集をなぞるだけだったり、既にできているところができるということを確認するだけで、勉強した気になっていた。社会に対する不安であれ、何をどう不安に思っていて、その不安を解消するにはどうしたらいいのか考えることがなく、そのくせ自分は偶然うまくいった過去の功績に思いを馳せて、その時の状況が自分の本来あるべき姿で、今の現状はおかしいんだと嘆いている。

要は目的に対してアプローチをするのが下手なのだ。課題解決というものを学校の宿題くらいにしか見出していなかった。全く違う。課題解決はあらゆる状況に対して求められる。その状況を変えるにしても維持するにしても、置かれた状況を整理し、優先順位をつけ、その場その場の最適解を考えていく、ということは何にだって求められる。

今後も戦略というものについて少し考えていきたい。自分に今までなかったものだ。自分は文学部の出で、今まで感覚やらセンスやら、美的価値というものに翻弄されすぎてきた。だが自分は虚無に堕ちた。意味と解釈は自分の精神の安定をもたらさず、ことさらに頭をかき乱し、混沌と破滅をもたらしただけだった。だからそういうものからしばらく距離を取りたい。今は戦略と機能について少し考えたい。