人生

やっていきましょう

149日目

不安について語る。これまで十数年の間疎外感を覚えてきた。自分の感覚と、多数の人間が共有する感覚の間には大きな隔たりがあった。自分の最も大きな不安だ。自分は自分の価値観を誰かと共有できていない。これはコミュニケーションの問題だ。

こんなことを言うのは自分らしくないと思う。自分は今誰かと分かり合えるということを望んでいるのだ。だがこうした感情を抱くようになったのは、自分が取返しのつかないところまで来ているということを実感したからだ。自分は異常者の域に片足をつっこんでいる。このまま進むべきか、退くべきか、丁度その過程にいる。

自分は多数派の人間たちが共有する価値観に強い理解を示していた。感情的なつながりで高揚感を得ることは人間らしさに溢れていてとても素晴らしいことだと思ったからだ。だが自分は決して彼らにはなれなかった。自分は彼らと繋がるべき感情を持ってはいなかった。彼らが何を好み何を発しようと、それが自分の感情に同胞意識や高揚感を抱かせることはなかった。ただただ理解できないものに同調することへの嫌悪感だけが募っていった。

このとき自分は、多数派の人間たちに理解を示し接近しようとしている自分と、理解の出来ない奇怪な現象を前に激しい嫌悪感を覚えている自分を抱えていた。自分は彼らが人間の主たる社会通念を担う存在として尊敬の念を抱く一方、彼らがそれゆえにありのままの自分でいられることに対する不当感を覚えていた。彼らは尊敬すべき人間達だが、彼らの優位は自分の譲歩と妥協によって成立していることを認めなければならなかった。

自分が社会で生きるということは、自分の中の価値観を殺して生きることに等しかった。それは自分に過剰な自己歪曲を強いた。自分の価値観は、自分のものでない価値観にとってかわった。自分は自分でありながら、自分でないことが多かった。この矛盾を解決できず、自分は社会的な場で何も話せなくなった。頭が真っ白になり、次の言葉が何もでてこない。すべてが硬直し、何も言えなくなってしまう。

大人になるということは、自分の価値観と相手の価値観との間に折り合いをつけることだ、とよく言われる。大抵子どもは自分の価値観を中心に生きている。自分の価値観がすべてであるという全面的な信頼が、成熟するにつれ、そうでない価値観を許容できるようになってくる。

自分にはそれができただろうか。自分は小さい頃から大人の都合を飲まされ、学校では多数派の価値観を飲まされ、自分の価値観に対する全面的な信頼を得ることができなかった。自分の価値観を育むことができなかった。自分は模範的で真面目であるという社会の定評を確立するために自己を歪曲し、何も望まず、そうすることが良いことだと常に自己暗示をかけてきた。自分は大人を先取りして、子供のように自分の価値観を自明のものとすることができなかった。

こうした自己歪曲に対する努力は誰にも知られていない。自分が世間に喚きたてたわけでも相談したわけでもない。自分は静かに壊れていった。そして大学を出た今、それが取返しのつかないことであるということを強く実感した。歪曲をもう元に戻すことはできない。

これだけ苦労して矯正して得た価値観は、その努力に見合うだけの価値があっただろうか。自分はその努力をもって社会の一員になることを望んだ。だが自分は、それを自明のものとは思えないがゆえに、自分の言葉で語ることができなかった。就活は最期の賭けだった。しかしそれも失敗した。すべての言葉のひとつひとつが偽物であるように感じた。自分はその偽物の言葉を、社会が求める誠実さに反してまで口にすることはできなかった。

自分を歪ませるこれまでの努力は何の意味もなかった。すべてが無駄だった。すべてが取返しのつかない状態になった。残ったのは壊れた自分だけだ。模範意識も、誠実さも、善意も、すべて使い物にならなくなった。あとはただスクラップにされるのを待つだけだ。

この不安に対して、自分にはまだ希望があるということを言い聞かせている。つまり、自殺するよりはマシな人生があるということだ。これは概ね同意できる。これまでの自分に降りかかってきたあらゆる問題は、ほとんど他人の解釈に翻弄されて自分の判断力が失われていたことに起因する。自分の頭で考えて行動できる習慣が作れれば、自分の価値観を受け入れられることもできるようになるのではないか。そうすればこの世界は今より少しだけ生きるに値するのではないかと思う。

バカげた話だが、こうした能天気な話に希望が持てるうちは生きてみようと考えている。