人生

やっていきましょう

自分のことしか見えていない人間がいた。自分の言動を他人が見てどう思うかという視点がない。自分が欲しているからそうする。ただそれだけだった。そしてそうあることに何ら疑念がないようだった。

こうした人間は自分にない強さがあると思う反面、同時に危うさを感じる。世界が自分の価値観で完結している。他者が見えていない。おそらくそうする必要がないから見ないのだ。自分が関わる人間、集団の価値観が、そのまま自分の価値観であるような状況が当然であったような人間には、自分の異質さに怯えるという発想がそもそもない。

こうした人間がいることは何ら不思議ではない。人生が順風満帆な人間は多かれ少なかれこのような傾向がある。問題は自分が彼らに遭遇した時にどうするかということだ。これまでの自分だったらこの種の人間の傍若無人ぶりを我慢していた。それはその人がいつか分かってくれる人間だという期待があったからだ。

しかし自分はその考えを改めた。どんな人間であれ他人に期待することは一切やめた。明らかに自分の許容を超えた行いには適切に対峙することにした。受け入れられないことにはNOと言い、その結果その人が自分から離れたとしても構わないと思うことにした(当然その場の空気や話の流れというものがあることは理解している。思いつきで出た悪口や偏見、過激な言動にいちいち目くじらを立てているわけではない)。

こうした拒絶をはっきりと自覚することで、あまり他者に振り回されなくなる。何でも他人に頭を下げて追従するだけでは当然ナメられる。自分も必要以上に無理をしなければならなくなる。だからすべての人間に自分の無理を分かってもらうことを期待しなくなった。そうではなく、自分の価値基準を相手にはっきりと分からせ、それが許容できる人間とだけ関わることにした(それが無理な状況というのもあるが、そうなった時は可能な限りその人を自身の内面に近づけさせない)。必ずしもその人に問題があるわけではない。自分に合わない人間と全力で関わろうとして無理をする自分に問題がある。

こうした選抜を密かに始めてから、自分の人間関係はかなり居心地が良くなった。自分が成長したと思ったのは、他人を0か100ではなく、様々な要素の複合体として捉えられるようになったことだ。これまで自分は許容できない価値観がひとつでもあると、もうその人間は自分に合わない人間だと思い込んでいた。しかしその人間とは別の点で意気投合することもあるのであり、他人とうまくやって行くには許容できない部分では近づけさせず、許容できる部分ではそこに限定して近づけさせることが重要だと思った。

これは反対の場合についても言える。自分が信頼を置いている人間というのは何人かいるが、彼らは自分にとってすべて合致しているかのように錯覚することがある。しかし厳密には概ね価値観が合っているということでしかなく、部分で捉えると細かい点ではやはり相違がある。

例えばある信頼できる知人をapexに誘った時、毎回やんわりと断られることがあった。はじめ自分は、自分が他人の相違をすべて無理して受け止めているのだから他人も同じように自分の価値観に少しは無理して合わせるべきだと考え、そうしない相手にストレスを感じていた(今にして思えば異常だ)。しかしそれは間違いだった。この人間とはapexではなく別の趣味で関われば良かった。

似たようなケースがいくつかある。ある知人は笑いのセンスが自分に近く好意的に思っているが、能力主義的な話題についていけなくなるところがある(自分もそうした側面があるが、挫折したという事実がそれを素直に肯定できなくしている)。別の知人は自分と同じ趣味を持っていて、趣味に限らず全体的に話の分かる人間だという信頼があるが、自分の言動の過ちを毎回指摘して笑うので、冗談とは理解しつつも時々怖くなる。また別の知人は自分の話にいつも合わせてくれているが、その人の価値観が見えてこないのでいつも関わり方に頭を使う。

彼らにそんな要素があるからといって、もう信用できないのか。そうではない。自分は他人に期待しないと言ったが、信用しないとは言っていない。期待とは他人が自分の都合を推しはかってくれることを想定することであり、信用とは自分と相手との間でこの範囲についてはお互い合意が取れるだろうと認めることである。

彼らに対して自分の期待をすべて押し付けてはならない。多少は自分に寄せてくれるよう働くが、自分と異なる価値観があればそれを受け入れ、手放さなければならない。そうすることが自分のためにも、そして相手のためにもなる。

自分だって相当歪んだ人間であるのだから、誰かから見たら最悪の印象を持つに違いない(特に冷笑趣味や行き過ぎた自虐がそれにあたると思う)。こうした人間が他人にとって害になるのなら、自分と相手が互いのコンフォートゾーンを保てるような距離と深度で関わっていた方がいい。おそらく社会性とはそのようなものだ。