人生

やっていきましょう

154日目

今日は外に出た。映画を観るためにバスに乗った。たったそれだけのことだが、やり終えた時には充実感があった。自分は映画を予約し現地までバスに乗れるのだと思った。

かなりレベルの低い話をしている。これくらいのことは誰にでもできる。自分は以前バスに乗って駅まで行ったことがある。似たようなものだ。だが今回バスに乗ったことで、自分はバスに乗れる人間なのだと理解した。自分は何もできない人間ではなく、バスに乗って映画館に行ける人間なのだと知った。

今度何かをする際には、バスに乗るということが手段としてあげられるようになる。バスに乗れるということは、地元のどこでも行けるということだ。それに映画を観ることもできると分かった。次からは足取りが軽いだろう。

それから映画館の近くのサイゼリヤに行った。自分はそこでドリアを注文した。そこでも奇妙な感覚に襲われた。自分は一人でサイゼリヤに入れる人間なのだ。そしてドリアを注文し、店員に水の位置を伺い、会計を呼び支払うことができる人間だった。そういうことが、何かとんでもなくすごいことだと思ってしまった。次からはもうサイゼリヤに行くことに不安がない。

茶番のつもりだろうか。だが重要なことだ。たとえば今からスペインに行こうと思ったときに、それは可能だろうか。おそらく今は出来ないと思うだろう。だがもし自分が、ひとりで航空券を予約して、荷物詰めを行い、どこか海外に降り立った経験があるとしたらどうか。おそらく自分はスペインだろうがロシアだろうがどこにでも行けると思えるだろう。外に出て社会の責任を果たし、その対価として賃金を得た経験があればどうか。おそらく他のこともできると思えるだろう。落書きを描いた経験が多少ある。すると自分は、他の落書きも今すぐ描けるだろうと思えるようになる。

何かを経験することで自信につながる。それは取り組むことの想像力が働くからだ。バスに乗ればバスに乗るということがわかる。それがどういう手順で行えばいいか、どの程度の難易度か、どのように応用ができるか。それがわかる。できることがひとつ増えると、それを生かして別のことができるようになる。

自分の不安の原因は、様々なことに対する経験不足に由来すると思う。経験せずに理性だけを働かせて物事を推察してしまうから、目の前のすべてが何かとても難しいことのように感じられてしまう。そういうバイアスに支配されて、目の前のものがなにかとてつもなく巨大な、神話のリヴァイアサンベヒモスのような脅威に感じられてしまう。

だが実際経験してみれば、それほどでもないことは多くある。確かに今から新司法試験を受けろと言われたり医者になれと言われたらできるわけがないと感じるかもしれないが、すべてがそれほどまでに難しいことではない。楽なものもある。自分は全てのことを東大や総合商社や外銀に受かったりするほどにハードルの高いものだと思っていた。だがそれは違う。できると言えることはある。