人生

やっていきましょう

この一か月に何があったのかをここに書く。いくつかのことが自分の身に起こり、結果として自分は内省をする動機を失った。端的に言えば考えることが面倒になった。

こうなった原因は主に3つあると考えている。

まずはオンラインゲームで立てた新たな目標だ。火力を増やすために思いつきで高額商品を買うと決めた。額はとんでもなかったが、3月末までには買えるだろうという見通しが立っていた。ひとつひとつ計画を立てて、3月はひたすら着実と資金を集めていた。

次にオンラインゲームのギルド。自分はこれまでソロを貫いてきたが、最近知り合いにギルドに誘われてやってみることにした。初めは断るつもりでいたがサブの育成をする必要があったのでラジオ感覚で入ってみることにした。結果的に価値観が近いということが分かり、そのまま残留して今に至る。

最後にゲームの知り合いとの関わりだ。最近知り合った人間だが、癖が強く理解ができないところがある。この人との関わり方が分からないでいる。しかし分からないにもかかわらずこの人の影響が自分の思考に及んでいる。

いずれも自分に大きな影響を与えた出来事で、それらは必ずしも自分に悪い影響を与えたわけではない。しかし結果的に見れば自分の思考を削ぐ形になってしまっており、改めて現在置かれている状況を整理する必要があると考えた。

まずはオンラインゲームで立てた目標について。これは自発的な動機に基づいた良い行いであり、計画を立て、反省し、改善点を模索し、仮説を立て、進路の修正を図るという一連の行動が、自分の感情に乱されず滞りなくできていたという点で、個人的には高く評価できるものだった。問題はその計画に自分の思考と関心の大半を注いでしまったということで、そのために内面と向き合うということがおろそかになっていた。

二つ目のギルドについて。これも自分にとっては良い経験で、近い価値観の人間と話しができるというのは良い刺激だった。話そうと思ったらいつも誰かしらいて、ボスやゲームの誘いをすれば誰かしら乗ってくれる。集団の利点とは自分の都合に適う人間が見つけやすいということだった。自分が個人で活動していた時は相手の都合を考えるあまり、ゲームに誘うのにも神経を使っていた。ここではそういうことがないので気楽にできる。

ただしこのギルドに属しているということが、結果的に自分の思考を失わせる。ここにいる間、自分の話している内容の大半が否定もされず議論もされずすんなり受け止められていってしまうのを経験した。それが居心地の良さにも繋がっているが、この環境に依存していると本来自分の思考に必要だった自己批判、推敲という作業を怠ってしまう。この環境に長くいたので、最近の自分は思考を働かせることがあまりなかった。

何を言っても受け入れられるということは恐ろしいことである。自分が誤った情報を吐いていても、相手の価値観に踏み込みすぎた発言をしても、受け入れられてしまえば問題にならない。この受け入れられているという表面だけを見て自分の正しさを確信してしまうと後で大変なことになる。

そして最後にゲーム知り合いとの関わりだ。あまりに異質な人間であり、自分がどう関わっていいのか分からなくなる。一言で言えば独自の世界観を有しており、本人はそれが当然相手に伝わっていると考えている。自分しか見えておらず人の話を聞かない。だが価値観を押し付けるとも違っていて、異常な認識を自明のものとして扱っているだけだ。

それだけなら別に構わないのだが、この人はその独自の価値観を延々と話し続ける。相手に迷惑かもしれないだとか相手に合わせた話をしようだとか思うことが一切なく、ただひたすら現実離れした「感受性豊かな」話を長々と語り続ける。こうした行いが正規ユーザーには気分が悪いらしく大御所のギルドマスターからはブロックされていたり、彼と懇意であるこのギルドにさえも警戒的な意見が主流である。

個人的には興味深い人間だ。対人面ではまったく想像力に欠ける人間が、独自の世界のこととなると常人の域を超えた発想をする。しかしこの人間と関わり続けたことにより、自分の思考は失われつつある。

この人が悪いというわけではなく対人全般にいえることだが、他者と関わる人間というのは少なからずその思考が他者の影響を受けたものになる。自分はいまこの人間の思考の影響を強く受けていて、話し方もこの人間の回りくどい言い方に似てきている。

この一か月の自分は置かれた環境によって自己を見失っていた。その結果思うように言葉が出てこなくなり、何かを書こうという動機も薄れてきている。こう書くと他責のように聞こえるが、そうではなくこれらを踏まえたうえで、この先自分に何ができるのかを考えたい。

まずは自分ひとりと向き合う時間を確保する。集団の中にいると自分というものを見失ってくる。常に自分と向き合うことを忘れず、その先に人との関わりがあるということを忘れてはならない。そのためにできることは、常に一定の距離を保ち続けるということだ。これは相手を避けるという意味ではなく、自分の思考を働かせることができる距離まで離れるということだ。

つぎに自分の記録をおろそかにしないことだ。記録は自分の思考を整理し形成するために必要なことだ。自分が話していることがどういった根拠から発せられたもので、それがなぜ妥当であると言えるのかをある程度理解していなければ、自分は自分を制御できているとはいえない。制御がなければ人は逸脱する。それが強みになる場合もあるが、自分の場合は不安と曖昧につながる。それらを回避するために頻繁に文字を書いて自分の思考に指標を置く。

その上で適度な付き合いをする。自分の言葉と考えに向き合うだけの十分な時間があり、それを維持できる程度には適度な他者との距離を保つ。基本は自分自身であり、自己本位を何よりも優先させることを忘れてはならない。