人生

やっていきましょう

自分の言葉は浮ついていると感じる。地に足がついていない。足りない頭でこねくり回しただけの言葉という印象がある。

作品には経験の浅さが透けて見える。情報をかき集めてようやく形にしたというだけだ。そのことに劣等感がある。

自分は経験豊富な人間が持つ、独特の視点からしか語れない言葉というものがあると思う。経験は万能ではないが視点の明晰さを裏付けるのはやはり経験だ。

例えばある表現に必要な言葉があったとする。自分は辞書で調べて適切な言葉がないか調べたりネットで類語を確認する。確かにそれで答えは出てくる。だが問題は、その表現がどういう文脈で用いられ、どれくらいの頻度で使われるのかが分からないということだ。

文脈にそぐわない(たとえば難解すぎたり、逆に砕けすぎた)言葉を発すると違和感が生まれる。要するに状況や相手の立場、話題の関連性といった様々な要素を踏まえた上で、適切な物言いをしていなければ違和感となって現れる。この違和感は調べても容易に理解することができない。

大工が自分の職能について語るとき、大工の働きを知らなければ適切な言葉を発することは難しい。もちろんある程度は本物に近づけることができるだろうが、それには必要以上に頭を使うことになる。

必ずしも自分が大工である必要はない。似たような業務、あるいはもっと大雑把に自らの活動という視点から類推することはできる。しかしそれにしても、自らの活動という経験を必要とする。

自分はこの着想の起点となる経験をほとんど積んでいない。だから言葉に深度と広がりがない。それが苦しい。