人生

やっていきましょう

何か新しいことをすると言ってきてこれまでやって来なかったが、その機会が突然やってきた。周りからすれば大したことではないかもしれないが、自分の中では大きな一歩であるように思う。新たな目標にしては小さなことだが、いずれこの一歩が自分を大きく変えるだろう。

自分の不安や虚無感、回避欲求を自力で抑えて何か新しい状況に身を投げ入るということはとても勇気がいる。誰かに代わりにしてもらうということはできず、最終的に自分の決断が要る。この決断がなかなかできない。特に失敗続きの人生であればなおさらだ。

だが自分は決断した。新しいことを始める。そのために動き出す。他人ではなく自分の意志によって動く。挑戦する。実は既に段取りを済ませた。計画はもう始まっている。

自分が動きだしたのは偶然によるところが大きい。思いつきでもあり、気分で乗り気になったところもある。だが一番大きいのは自分の中にある程度できるという根拠があったことだ。まったく関係のない数々の経験が自分の力量を計るひとつの指標となる。これができるということは、これができるということでもある。そういう推測がだいたい正しく行き届き、自分には絶対無理だというものが段々と少なくなっていった結果である。

まったく新たな挑戦に対して不安がないわけではない。しかし前から思っていたほどに深刻なものではない。絶対に失敗できない、完璧に済ませなければならない、他人に誤解されたくないという耐え難い思いはいつのまにか自分の中から消えていた。自分は失敗するし、誤解されるし、完璧な人間にはなれない。仮にそれほどの水準に達したとしても誰も気にしない、誰も期待しない。だから別にどうでもいいことだと思うようになってきたのである。

新しいことを始めるに際して思ったことがある。それは自分にできることの範囲は、それまで自分ができてきたことに依存するということだ。例えば今からイタリアに行きたいとする。しかし海外旅行に一度も行ったことがなければどうやって行けばいいのか分からない。しかし日本に航空技術があり、民間企業がその技術を応用して旅客を運送するビジネスを行っているという事実を知れば、そのサービスを利用することがイタリアへの近道だと知ることができるだろう。その上でいくらかかるのか、どの空港に降りるのか、イタリアに着いたらどこに泊まるか、そもそも何を持っていくのかを考えることになる(もちろん現地の文化や盗難についても注意がいる)。

とはいえ、まったく海外に渡航した経験がなければ他国への訪問は完全な闇でしかない。しかし例えば、県外に旅行に行った経験があるとすればある程度はイメージできる。自宅から離れて遠出する際には基本的に交通機関を利用することになる。交通機関にはバスや電車があり、予め決められたルートを往復するものもあれば、タクシーや自転車、あるいは自家用車やバイクといった自由な進路を行き来できるものもある。もしこのような事実を国内で何度か知る機会があれば、国家間あるいは領空内外の行き来は前者に近いものであるということが直感的に分かり、バスや電車の延長としてサービスを利用することができそうだということがわかる。もしバスや電車を利用した経験がなければこの類推はうまくいかない。経験があるからこそ、実際に飛行機を利用したことがなくてもサービスを利用することを簡単にイメージすることができる。

これと同じことがすべてのことに言える。自分が経験をしたことで、その周辺に点在している情報についての想像力が養われる。そしてそれを運用する可能性について考えることができる。その原則が分かれば、まったく未知の分野に際してもたじろぐことはない。自分の挑戦に対する不安や失敗はおおむね経験不足によるものだ。であるならばその経験を蓄積すればいい。そしてその経験は次の経験を想像しやすくする。自分がやるべきことの全体像が分かれば余分な懸念や心配をする必要がなくなり、心に余裕が生まれ不安を抱かなくなる。

これまでの自分は絶対に失敗できない、失敗したら自殺するというほどに失敗を恐れていた。しかし今思えば、それほどの緊張感を持って不確かな勝負を仕掛けるのであれば挑戦する前に基礎的な経験を積んでおくべきだった。自分はこれまでがむしゃらに努力して自分に分不相応な領域に入り込むことを繰り返してきた。通常であればその領域に入る過程で個人の偏りは均質化していくのだが、自分はそれが嫌で我流にこだわった(そのくせ失敗を恐れているのだから笑い話である)。

自分が学ぶべきことは自分にできることしか自分にはできないということだ。無理にその原則を捻じ曲げて分不相応な領域に立ち入ったとしても長続きはしない。自分に必要なのは自分には何ができて何ができていないのかを見極めること。そしてその程度に応じて自分に相応な領域から地道にはじめるということだ。この一歩を自分はつまらないと思っていた。とにかく勢いが重要で、自分の人生には目まぐるしく想像もつかない展開を望んでいた。しかしこの地道さが重要だった。なぜならそれこそが、自分の力量を正しく見定められる範囲であるからだ。

自分は本当はギャンブルが好きで、馬鹿みたいな無謀を冒したがっている。大抵の場合自分の不安や警戒心は大抵の場合無駄にしか思えないが、この無謀さを抑止しているという点では十分すぎるほどに機能している(だからこそ顕在化せずに済んでいる)。ギャンブル欲を必死に抑えつけるだけの人生が楽しいわけがない。だが自分には、自分の実力に沿った範囲で手堅く勝つということを学ぶ必要がある。それはつまらないかもしれないが、自分の予測不可能な無謀さを抑え続けるよりは前向きでやりがいのあるものだと思う。