人生

やっていきましょう

264日目

気がついたらもう3月になっていた。自己療養と称して1年間ほとんど何もしなかったが、何か変わったことがあっただろうか。

卑屈にならず冷静に判断すると、事態が好転することはまったくなかったが、物事に取り組む最低限の下地は出来上がってきたと考える。何か新しいことに挑戦しようと考えたとき、根拠不明の不安によって選択が左右される頻度が減った。自分の実力を低く見積もった範囲の中で、可能であると思えることには大胆に行動した。習慣の重要性を再確認した。記録によって自分と真剣に向き合う機会が増え、他人の目や評価を気にすることがなくなった。

これらの下地が2019年以前には存在しなかった。まず世の中の状況に対して常に受け身であり、特別な要求がなければ機会を取りに行くことがなかった。また受け身であり続けることで、自分の好ましい状況を構築することができず(そもそもそんな発想すらなかった)、結果として自分に不利な環境に自分を置き続けた。それでいつも不安だった。不安が基底にあるので、適切な予測と判断を下すことができなかった。

これにより自分は2つの極端な考えに陥っていた。まず自分はあらゆる行動が死に直結するほどのリスクであると信じていた。自分が失敗することは社会的な死を意味し、なにか失敗をしたら、他人がその失点をあげつらって自分の人格を集中的に攻撃してくるかもしれないという妄想に駆られていた(これはネットの影響かもしれない)。そうなることが自分の精神を破壊する直接的な原因になり得ると考えていたので、何も行動しない、様子を見るという絶対に失敗しない方法を選び続けた。

もうひとつは、自分の不安は最後には自らの超人的な力をもって克服されるということを信じていたことだ。これは不安を抱いている自分をどうしても受け入れられずに見た幻影だ。これは部活やゲーム、受験といった活動で、自分の力を高める根本的な動機になった。だが不安によってその認識がひどく歪められていた。まず自分は(本気になれば)何でもできる人間だと思っていた。そしてその実力はあらゆる状況下において自明のごとく適用されていると思っていた。実際にはその裏に「そうでなければならない」という願望と義務感があり、その重圧が自分の不安に拍車をかけた。

この2者が激しく対立しあい、基本的にほとんどのことは行動しないが、一方行動するとなったら死ぬ覚悟で不安と恐怖に対して神話的な確信をもって破壊的に挑戦し続けるという、いびつな精神状況が生まれた。

この挑戦によって失ったものはほとんどなかった。中学の過酷な部活と応援委員の両立(これは本当に不運が重なった)を3年間耐え、ほとんど勉強しなかった状態から高校入試を乗り越え、高校3年間を勉学に費やし、1浪までして大学に受かった。サークルも自分の肉体の限界を超えるために入った運動の激しいサークルを3年間やり遂げた。自分が最も苦手な英語を専攻にして奨学金を3年間貰い、学士を得た。すべて結果的には成功した。

これだけ見れば聞こえはいいが、実態は見劣りする。自分を逃げられない状況にまで追い込んでおきながら、そのほとんどは受け身だった。部活も応援も、受験も勉強も、サークルも英語も、全部嫌いなものばかりだった。だから自分が本心から望んでいるわけではなかった。主体的に行動できず、かといって逃げるのも嫌で、その矛盾を非現実的な鼓舞と忍耐によって克服した。

すべて自分で選んだ選択ではなかった。自分の不安は超人的な力によって克服されねばならないという、現実を度外視した枷を自分に課していただけだった。その限界をついに迎えたのが2018年だ。自分はこれだけ頑張ってきたのだから、社会的な歓迎をもって救済されるべきだという妄想に駆られていた。自分は過度な不安とストレスから人と会話することが全くできなかった(緘黙的になっていた)が、それすらもこの決死の努力の前に歓迎されると思っていた。

だが人間は黙っていて歓迎されることなどない。自分が歓迎されるに足る人間だと訴えなければならない。だが自分にはそれができなかった。自分はほとんど非現実的な負荷を受け身で生き延びてきた人間だ。基本は受け身だ。過度な失敗を恐れ、他人の評価を恐れ、何もしない/言わないことこそ生き延びる唯一の方法だと悟った自分にとって、自己を開示するということは死刑宣告に等しかった。それで何もいえずに終わった。

結局自分は不安を克服するために破壊的な挑戦をし続けることを承認されたかっただけで、何かをしたかったわけではなかったのだ。ふと世間を見渡すと皆やりたいことだけをやろうとしていて、自分の弱点やコンプレックスを克服しようとして、生きるか死ぬかの境をさまよっているわけではないと知った。そして仕事にしろ院にしろ、そこで自分が何がしたいのかという理由を問われることを知った。破壊的な受動ではもうどこにも通用しないと悟った。そして挫折した。

今思えば、物事に対する最低限の下地が備わっていない中で、よくここまで生きてこれたなと思った。なぜ自分が自殺せず今生きているのかますます分からなくなった。おそらく自分は偶然的にまだ生きているのだ。

この1年は最低限の下地、現実に対する適切な認識と判断に基づいて自分の考えを改めようとしてきた。実際、状況はそれほど何も変わらなかった。だが決定的に変わったのは、この地に足をついた思考と行動によって、自分の存在をようやく自覚することができたということだ。

目につく前進といえばそれくらいだ。現状に目を向ければ、自分の前進がかすむほどの欠陥を抱えているということがわかる。

まず惰性が自分を占めている。自己再建計画の走り出しはよかったが、10月以降目標を見失い、惰性のまま生きてきた。惰性によって精神の安定は保たれたが、目ぼしい前進が見られなかった。この数か月をTOEICなり資格試験なり、バイト活動や専門学校に充てればもっと有意義だっただろう。それをせずただ1日1日を部屋の中で無為に過ごしたというのは致命的だ。

つぎに動機の消失だ。自分は不安を克服するために自分の弱点やコンプレックスに過度な努力を課してきた。自分にとって行動に対する動機といえばそれだけしかなかった。それが失われた今、自分は何もできなくなってしまった。コンプレックスの残滓によってかろうじてTOEICは挑戦した。バイトも1日は取り組んだ。だがそれだけだ。「自分がない」と記事に書き続けてきたが、未だに主体的な動機を獲得できないでいる。創作に主体的な動機を見出そうとしたが、これもまた不安やコンプレックスによって稼働しているにすぎないと最近理解し始めた。

また計画性の無さもある。行き当たりばったりというのが自分の本性であり、計画をいちいち建てることをどうにか振り払いたいと感じている。ある衝動から計画を立てようと思って計画を立てることはできる。だがそれを実際に運用可能なものとして落とし込めていられているかは疑問だ。数々の失敗から、計画を道具的に用いるということの重要性を何度も教訓にしてきたが、未だに注意が散漫になるとそのことを忘れてしまう。

最後に記録が本来の用途として使われていないということだ。現状、記録は自分の精神状態の掃き溜めとして使われており、自分の前進を稼働させるという本来の目的に即していない。創作の記録や運動の記録はその点適っていたけれど、前進に必要な骨組みを十分に構築できていない。期限を定め目標の達成を冷静に評価し、その結果に基づいて次の方針を定めるといった理想を実現できていない。結局、何となくそれっぽいことをやっているだけだ。

これらの4つは解決が難しい。どうすれば解決できるという問題ではない。自分の中で何かをしたいという思いがまったくなく、それが4つすべての根本原因だと自分では思っている。動機の枯渇にあって、計画を立てる動機も記録を矯正する動機もない。惰性をどうにかしようという気も起らない。

だがありもしない主体的な動機に救済を求めるのは愚かだ。オアシスを求めて砂漠を彷徨っているようなものだ。だが砂漠にオアシスはないのだ。自分の水がなければ渇いて死ぬしかない。自分ができるのは、それでも死ぬまで彷徨い歩くことくらいか。死が見えていても、歩かなければならない。どうすれば動機も希望もない状態で生きられるか、ということをこれから先は考えなければならない。

自分の中にある1つの希望は、やっていくうちに楽しくなってくるというものだ。何かをやる前からつまらないと思ってしまう傾向が自分にはある。だからアクションを起こしやすくすることで、自分の動機を掴みやすくなるのではないかという期待がある。とりあえず今はそこに希望をもっても良いと思う。