人生

やっていきましょう

286日目

自分のことを抽象的な言葉で誤魔化すことにうんざりしている。事実は1年間根本的な問題から目を背け続けてきたということだけであり、その1年の間に多くの人間は自分を追い抜いて行ったということだ。ひょっとすると1年どころではないかもしれない。最大でも5年という歳月がその候補にあたる。

自分の関係者を観察していると、致命的な精神の挫折を経験した人間がほとんどいないように見える。何らかの形で失敗していても、気が付いたらうまく復帰できているという人間が多かった。その度に思うのは、泣き言をいって停滞しているのは自分だけで、自分の問題に絶望し塞ぎこむことのない彼らが遥か遠くに見えるということだ。

表に出さないから分からないだけかもしれない。彼らが抱えている問題を自分は何も知らない。だが何にせよ、人生を前進させていることには間違いない。彼らは決して「勉強したところで何になる」とは言わない。それが事実であることは確かだが、やらない理由はないから、面白いから、気が付いたらやっていたという強い動機を持っている。自分にはない。何をするにしても「正統な理由」をこじつける。

事実を述べる。自分にはもう生きる気力がない。焦燥感だけがあり、現状を改善することだけが生きる目標になっている。楽しみは長続きしない。苦しさは常にある。今日もつまらないことで失敗した。慰めはどこにもない。

1年経っても自分を心から肯定することができなかった。自分は生きていて良いとは思えなかった。その場しのぎの肯定感も、次の日には跡形もなく消えた。何もない。

 

不当な事実だけを述べても仕方がない。自分に有利な事実も述べる。

まず試行錯誤が有用であるということが分かった。「自分には何もできない」という思い込みに対する唯一の反逆手段であることが理解できた。自分の知らない全く新しい分野に対して「無理だ」と思わずに「面倒だ」と解釈できるようになった。

また、前提知識を持たずに自らの頭だけで考え行動しようとすることは危険だということを実感した。自分は今まで自分の判断力を信頼していたが、それは参照すべき情報があってのことだった。有力な情報を持たないまま、自分勝手な解釈に従って何度も失敗したことを忘れてはならない。

そして模倣の重要性を知った。模倣は創造と両輪を成す。模倣なき創造は基本がなく、創造なき模倣は面白みに欠ける。自分に足りないのは模倣、つまり圧倒的な学習経験だ。体系化されたパターンを知ることで自分の思考にも多少の深みが増すだろう。

試行錯誤の持続、情報に基づいた判断、学習と模倣、これらは使い方次第では自分を有利にする。これらをもって自分自身の枷を相対化する。救いになるかは別として、心が死んでいても尚できることはある。