人生

やっていきましょう

417日目

およそ人の活動は何らかの目的を前提としているということを再確認した。生活上、目的を定めるということがあまりに自明であるため気づきにくくなっているが、目的を定めるというプロセスは確かに効果的であるように思う。

自分はこの必要不可欠な前提をほとんど忘れがちになる。かねてより目的ある生存というものを自明のものとすることができていない。だから現に不都合が生じている。いまの自分はただ目的もなくさまよいつづけている。おそらくこれまでもそうだった。言わば外の世界にただ流されている状態だ。

自分の方向性をひとつに維持するためには、ひとつの目的を強固にする必要がある。目的を一度定めたら懐疑的になるよりも維持する努力をした方がいいだろう。

自らの意思で目的を定めるところに自分の都合が生まれる。そこに自尊感情が宿りやすく、自己本位な生き方が可能になる手がかりがあると思う。目的がないということは自分で目的を設定できないということであり、自分の意思が確立できず常に他人の都合に流されるということを意味する。世の中が自分にとって不都合である以上、自分の都合は自分で守らなければならない。

誰かが言っていたが、目的を立てるまでは神経質なほどに懐疑的になっても、実行する段階になったらゆったり構えることが重要だという。この考え方は参考にしたい。自分は目的を定め実行する段階で、間違えていたらどうしよう、もっと別のやり方があるのではないかと考えすぎてしまうので、目的が容易く揺らいでしまう。目的を優先する生き方をするならば、どこまでは思考を巡らして選択肢を広げるのか、どこからは選択を定めて維持していくのかということを事前に考えておく必要がある(ただし例外には柔軟に対処すること)。

自分は延々と答えの出ない曖昧な問題を考えることだけに時間を費やす人間なので、経験から得た取捨選択の情報の量と質に乏しいまま、まったく明後日の方角に向かっている。それが自分の懐疑と不安を増長させ、ますます自分の行動を渋らせる。それでどうしたら良いか分からず再び答えの出ない曖昧な問題を考え始める。これは悪い循環だ。だから思考の前提を改めた方がいい。無目的な放浪のためではなく、目的を達成するために思考する。