人生

やっていきましょう

596日目

この数日間1つの場面をどう演出するかについて考えてきたが、何を考えても違和感を無くすことができない。そこまで高度なことは求めておらず、ただ単に次の章への繋ぎ合わせの部分として完成できればいいと考えているだけなのだが、何をどう描いても不自然に思えてしまう。

完成させるということを第一優先にしていながら、まったく前進しないことに苛立ちを覚える。考えれば考えるほど描写は複雑になり一貫性が保てなくなる。完全に行き詰まると今までのアイデアをすべて捨ててもう一度始めからやり直す。だがそれもまた同じように行き詰まる。

一旦その場面の開発は打ち止めにすることを考えている。同じ問題について何日考えても進展がない。とりあえずは妥協の演出にとどめておき、先に次の章を完成させる。

繰り返し自分に言い聞かせる必要があることだが、これ以上作品のクォリティを上げる努力をすべきでない。そうした努力は次の創作で行うべきことであり、古い開発の後始末で行うべきことではない。この計画は数年前の未熟な自分が風呂敷を広げて思いあがっていた頃のものであり、今の自分のものではない。杜撰な計画からは杜撰なものしか生まれないのだ。それを否定しようとどうにか整合性を生み出そうとする努力に何の意味があるのか。

昔の自分は間違っていたと潔く認める必要がある。無計画の思い付きはとん挫する。無理にそうさせまいとしてもやはり違和感は拭えない。自分の違和感とは、結局のところ偶然的な連想を必然的なものに装っているという自覚のことではないのか。本来前後で繋がりえない錯綜したプロットを、繋がっているものとしなければならない努力、まさしく詭弁を正当化しようとする無理に自分が陥っていることではないのか。

過去の自分の過ちを正当化する作業に疲れた。これ以上話の整合性を高める努力はしたくない。今日明日でこの部分からは一旦離れたい。しばらく寝かせてからもう一度見直すことにする。