人生

やっていきましょう

いつまでアクション要素の修正に時間をかけているのか。今日もまた新たなバグを発見して何時間も格闘した。最終的にすべて解決したのだが、たかだか2分程度のミニゲームのためにここまでやる必要があったのか。思いつきで行動すると大抵こういうことになる。

実際にミニゲームをテストしてみた。Dキーを押し続けると主人公の向いている方向に弾丸が発射され、その直線状にある敵は軒並み吹っ飛ばされるというゲームである。確かに爽快感があって楽しい。ただマップの割に敵が少ないと感じた。1つのマップに50体を置いてみたが、はじめからマップに空白が多く、歩く時間の方が長くなってあまり楽しめなかった。

そこでもうひとつのマップを削除して1つのマップに100体敷き詰めることにした。敵を探索する要素をすべて消して、敵をふっとばすことにすべての焦点を合わせた。おそらくクソゲーの類になるがこの雑さが欲しかった。やはりこちらの方が格段に面白い。

制作に全力投球するといつも真面目なものを作ってしまう。あれこれ考えてようやく生み出せた自信作は大抵つまらない。すべてを完璧にしようとして角がなくなるからだ。イベントの動作は完璧でなければいけない。何度テストをしても問題なく機能しなければならない。しかし演出の面白さは完璧である必要がない。ギャグを作ろうとするならむしろ力が抜けていた方がいい。

物事の機能と解釈を分けて考えるという発想は自分の中では最も重要な気づきのひとつだ。仕組みは完璧なものを作る。イベントを作る上でバグは確実に排さなければならない。しかしその表現は、必ずしも理詰めである必要がない。子どもが粘土を乱暴にこねるように、感情に任せて雑なものを作ればいい。自分がいま目指しているシーンはそういうものだ。